堀木園芸のバラ 本文へジャンプ

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2009年6月26日(金)
「 僕の名を呼んでくれ  

 「じゅげむ じゅげむ ごこうの擦り切れ 海砂利水魚の すいぎょうまつ ふうらいまつ うんらいまつ 食う寝る所に住む所 藪らこうじのぶらこうじ パイポ パイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのクーリンダイ クーリンダイのポンポコピー ポンポコピーのポンポコナー 長久命の長助」

 

 落語「寿限無」の主人公の名前が上記の全てである。

 

 彼の父親である八五郎が、物知りの和尚さんの所へ出掛けて行って、縁起のいい名前をいくつも教えてもらう。

 

 今も昔も、親心は同じなのか、少しでも幸せになって欲しいと願って、八五郎は和尚さんに教わった縁起のいい言葉を全て倅に名付けてしまう。

 

 じゅげむじゅげむごこうの擦り切れ〜(中略)〜長久命の長助くんよりは、我が家のオリジナルバラの方が、幾分名前が短いであろう。

 

 そうであっても「覚え辛い」「長い」「響きが悪い」「センスが悪い」等と感想を頂く事がある。

 

 はたまた全く覚える気のない方や、間違って覚えている人もいる。

 

 そうであっても、私は全く揺るがない。

 

 それ所か、次はどんな困難な名前にしてやろうかと、私の中の天邪鬼が蠢き、口角は上がり、尻尾がにょきにょきと伸びてくる。

 

 切花で流通しているバラは、客馴染みを求める為か、言い易い名前が多い。

 

 されどガーデンローズは長い名前が往々に存在する。

 

 「クラウン・プリンセス・マルガリータ」「バリエガータ・デ・ボローニャ」「チャールズ・レニー・マッキントッシュ」

 

 それは何故か。

 

 親であれば、彼女たちが、2,3年市場を賑わせ消えて行く存在などとは、夢にも思わないからだ。

 

 700800品種が流通する中で、「800分の1」ではなく、千軒以上いるバラ生産者の中で、「唯一」自分だけが育てる事を許される存在なのだ。

 

 我が子に、意味のある名前を、存在の理由を名付けたいのが、親心というものだ。

 

 早急に浸透しなくても、長い歳月愛される存在であれば、特定の人には忘れられない名前になる。

 

 それに名前が長いと、良い事もある。

 

 注文書に字がいっぱいあると、何やら儲かっている様な気がする。

スペンド ア ライフタイム


バイ ア モーメント





エヴァー ロング



2009年6月20日(土)
「 お調子者  







 以前にも、お花屋さん探訪記をしばしば書いているが、私は良くお花屋さんに行く。

 

 もちろん我が家の花を買って頂いているお花屋さんも行くが、そうでない所にも赴く。

 

 名刺と我が家の栽培品種リストは欠かさないが、営業活動と思われるのは心外である。

 

 多少なりともPRはするが、それはあくまでもお花屋さんとの会話の一環でしかない。

 

 私が一番気にしているのは、お店のトーンである。

 

 店主や店舗によって、店の雰囲気は異なるのは当たり前だが、店の装飾品、壁、什器類、花器、店内に飾られている花の色合いを見る。

 

 すると何となく、そのお店の好みが分かる様な気がする。

 

 モノトーンのモダンな作りの店、白を基調とした柔らかい感じの店、木目やアンティークを用いたあったかい雰囲気の店。

 

 別々の様であって、関連性もある。

 

 私に取っては、美術館で芸術を見るよりも、花を見る目が養われる。

 

 品種選定を行う際で、最も生産者が頼りにする存在は誰かご存知であろうか?

 

 消費者?生花店?中卸?市場?花雑誌?

 

 否。

 

 日本中の生産者が、自らの温室で育てる品種選びの最も頼りにしているのは、種苗会社と己自信のセンスである。

 

 笑ってしまうであろう。

 

 田舎者に流行の突端を行く品種選びが出来ようか。

 

 付け焼刃であるが故、毎年多くの品種が過去へ葬り去られる。

 

 種苗会社の情報は、全ての産地に平等に伝わる。

 

 故に爆発的に増殖して、低単価を巻き起こし、数年で激減する。

 

 種苗会社を花流通の上流とすれば、中卸以降の人達は選ばされているだけとなる。

 

 消費者やお花屋さん、デザイナーが生産品種を選択できれば、無駄が省けてより良い業界にならないだろうか。

 

 情報はある、されど流れていない。

 

 信州の土臭いお調子者が、お店に現れた時は、塩など撒かず、お話を聞かせて欲しい。

 

 もしかしたら手土産があるかもしれない。・・・・無いかもしれない。



2009年6月16日(火)
「 復活の早さが売りです。  

 この歳になると、ゴルフを始めろと進められる。

 

 仕事関係の付き合いや先輩に誘われるが、正直始める気がない。

 

 気の短い私は、順番待ちをする種目が嫌いだ。

 

野球、ゴルフ、ボウリング、ダーツ。

 

到花日数が多い品種をたくさん作っている我が家であるが、高回転の品種もある。

 

「スペンド ライフタイム」「イントゥリーグ」「ロジータベンデラ」「ベンデラ」等は生産の谷間がとても少ない。

 

盛りが過ぎて、花が減ってくると、直ぐに新しい新芽が吹いてくる。

 

力強く、太く瑞々しい芽が、何度も立つので頼もしい限りだ。

 

お花屋さんは、高単価のバラを見ると、然も生産者が儲かっている様に思うかもしれない。

 

しかし実際に生産者の懐を暖めているのは、低単価にもめげず、安定して本数が切れる品種たちなのだ。

 

春先でも到日数が70日ある「オリエンタルキュリオーサ」達には見習って欲しい限りである。

 

バラの単価が上がる事が無い、このご時世で、農家が経営を維持するには、採花本数を伸ばす以外になかろう。

 

バラや他人には「やれ急げ、さあ動け。」と言う割には、私自身はよく遅刻する。

 

先日もお花屋さんの結婚披露パーティーに招待されたが、うっかりしていたら少々遅刻してしまった。

 

先輩生産者にもお小言を頂戴してしまった。

 

友人と待ち合わせをしていて「遅ぇよ!今何処?!」と電話がかかってくると、「あぁ、今家出た。もう直ぐ着く。」と言ってから、シャワーを浴び始める。

 

さっぱりして到着すると、案の定、友人の機嫌が悪くなっている。

 

それでも、付き合いが長くなってくると、彼らも慣れてくる。

 

私も取り繕ったり、言い訳をしない。

 

だって武士なんだもん。

スペンド ア ライフタイム


ザ・プリンス


ロジータベンデラ





2009年6月13日(土)
「 あなたなしでは、生きられない  


エヴァーロング














完全自由席の映画館で、目の前に大男が座って、映画が見辛い時に、あなたならどうしますか?

 

 空いていれば席を移動するし、混んでいて自分が後から選んだのであれば、やむを得ず彼の肩越しに映画を見る。

 

 しかし後から来た大男に視界を遮られたら、文句の一つも言いたくなりますか?

 

 先日、県内のラジオ番組を聴いていると、「農家が使う雀脅しがうるさくて困る。」という苦情が投稿されていた。

 

 「雀脅し」とは畑に設置し、ガス圧で数十分置きに破裂音を出し、鳥獣被害を軽減するものである。

 

 同様にスウィングスプレーという「農薬散布自動車の騒音が早朝でうるさい」という投稿もあった。

 

 数時間後、農家側からのメールが読まれた。

 

 「薬散は風の少ない早朝に行わないと、近所の家屋や歩行者に消毒が飛散してしまう。雀脅しも品質の良い野菜や果実を作る為に使用しています。ご迷惑をお掛けしますが、ご理解下さい。」

との事であった。

 

 彼がハト派の農家の意見を述べたので、私はタカ派の意見を述べたい。

 

 後からのこのこ引っ越して来ておいて、何をぬかしやがる。

 

 我々農家は、何百年単位で仕事をしている土着の民である。

 

 彼らが言っている事は、アメリカ大陸に移住してきた欧州人が、インディアンを迫害しているようなものだ。

 

 都市部と違い、田舎では近隣に住む者たちが、より濃密に支えあって、思いやって生きている。

 

 果樹園や田んぼの中に、異様に浮かび上がった近代住宅に住んでいるからと言って、エセ都会人の様な顔をされては迷惑千番である。

 

 しかし、農家の高齢化や後継者不足で次々に畑を売り、住宅地にしている農家も多い。

 

 それに住んでくれる人がいなければ、田舎は益々過疎化してしまう。

 

 お互い持ちつ持たれつである事を、忘れないで欲しい。

 

 ラジオに投稿してきた彼の様な農家だけではない。

 

 私の様に、牙をむかれれば、迷わず爪を立てる能のない鷹もいる。

 

 映画館では、なるべく座高が低くなる様に、浅く座り、背もたれに寄りかかる。

 

 私が悪いのではない、日本の作りが小さいのだ。



2009年6月8日(月)
「 最後に  

 私は、一度気に入ってしまうと、超長期間において愛用する。

 

 シャープペンシルは「ドクターグリップ」と決まっているし、美容師は中学生の頃から「竹村さん」である。

 

 気に入ったCDは磨り減る程ヘビーローテーションで聞き、10代から使用している道具や服は今もたくさん持っている。

 

 「お気に入り」を思い浮かべてみると、仕様も存在感もまちまちであるが、唯一共通点があるとすれば、「心意気」である。

 

 私の「お気に入り」達は、私にあつらえたかの様な心地良さと、パンチの効いた「心意気」がスパイスの様に備わっている。

 

 「心意気」とまで言えるかどうか分からないが、我が家では選花の際に、バラの葉っぱを30%から多いときは50%程取ってしまう。

 

 更に、棘が取りやすい品種によっては、棘まで取ってしまう。

 

 全て掌で、一本ずつ。

 

 この作業に賛否両論あるだろうが、私が依然勤めていた花屋では、棘はフローリストナイフで全て取っていたし、葉っぱも40%程度は毟ってから水揚げをしていた。

 

 仕事というのは、「後の事」を考えて行うのが定石だと心得る。

 

 後々自分が仕事をし易い様に、仕事を渡した次の人が仕事をし易い様に、今の仕事をするものだ。

 

 故に選花作業をしていると、手袋がすぐに破けてしまうし、大量の葉っぱがゴミとして出る。

 

 手袋は本当に使えなくなるまで、大事に使用し、葉っぱは自宅の前にある果樹園の根元に持って行く。

 

 バラの葉っぱは栄養豊富であるし、マルチング効果がある為、雑草の発生や土壌の保湿に役立つ。

 

 物資が豊富な日本において、消費者は常に過剰な選択権を所有する。

 

 それでも最後にポイントとなる所は、作り手、売り手側の心意気だと信じている。

 

 優れた「お気に入り」には感謝状でも贈りたくなる。

 

 ちなみに我が家の住所は、箱に記載してありますので・・・。













2009年6月5日(金)
「 でいご咲き 旅路の果てに 待つるのは 生まれた里の 昼寝の夢よ  















 アルストロメリアの生産者と話していて、ビックリしてしまった。

 

 彼らは週に三回しか花切りをしないらしい。

 

 ビックリした話を他の花生産者に話してみると、バラの生産者以外は大抵どこもそうらしい。

 

 毎日、朝晩花切りをしているのは、バラ農家だけらしい。

 

 生まれも育ちもバラ屋の私は、どの切花農家も毎日朝晩花切りに追われていると思っていただけに、信じられなかった。

 

 酪農家の搾乳とバラ屋の花切りは、死と税金の様に逃れられないものだ。

 

 私は両親の結婚記念日を忘れた事がない。

 

 というのも私の誕生日と両親の結婚記念日が同じ日付である為だ。

 

 これはなかなかの奇遇で気に入っている。

 

 先日、両親が結婚30周年の記念に沖縄旅行に行って来た。

 

 23日と短いものであったが、妹の住む琉球の地に足を踏み入れるのは、両親とも初めてだったらしく、還暦間近の2人は、私の脅しにもめげず久し振りの飛行機におめかしして搭乗した。

 

 脅しと言っても、父には通用しない。

 

 母に、「道に迷ったら?」「飛行機に間に合わなかったら?」「自動チェックインできなかったら?」「空港で迷子になったら?」「父とはぐれたら?」と不安要素を投げかけると、戦々恐々としていた。

 

 そんな母を見て、優越感に浸っていたが、実は私の方が恐れ戦いていた。

 

 父も母もいない間に、バラ達に万が一の事があったらどうしようと、普段はったりを厚く塗り込んで、大きく見せている肝っ玉が音を立てて軋む。

 

 私の心中とは裏腹に、選花、出荷、花切り、会議に追われて3日間は事無きを得た。

 

 それでも私以上にビビっていたのは、温室で父と母の不在を感じ取ったバラ達であろう。

 

 「おい!本当にこいつに任せて大丈夫?」そんな声が聞こえてくる。

 

 両親が久し振りの旅行を終え帰宅すると、両親がバラ屋を始めた当初に栽培していた「カリーナ」が花開く。

 

まるで待っていたかの様に。

 

 日差しが強くなる信州の初夏に、これでまた暫らく、私とバラのお昼寝は安泰である。


2009年6月2日(火)
「   
 友達と語らいながら酒を飲むのが、私は大好きである。

 

 説教や管を巻いたりせず、楽しく飲んでいると、時の経つのを忘れてしまう。

 

 しかし、私の友人はマニアックな人が多い為、大衆向けではない路線に、超光速で突き進んでしまうことがある。

 

 「私といふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です。」

 

 文豪・宮沢賢治氏の「春と修羅」の冒頭の一句であるが、最近になって、この文章の意味が理解出来た様な気がする。

 

 しかも、何と美しい言葉の言い回しであると感嘆しすぎて、表現出来ない程だ。

 

 音楽や美術、自然なども時として、歳を重ねると理解や感銘する事が、出来る様になる場合がある。

 

 この場合、ようやく私という人間が、その高みを理解出来るまで成長したということであろうか。

 

 ともすれば、人に先んじて芸術や技術を生み出した人間は、何を目標として、その頂に辿り着いたのだろう。

 

 日本のバラ業界で、知らない人はいないであろう静岡県の市川さんが育種した、「アンダルシア」は、今や注文してもそうそう手に入るものではないが、生産を始めたばかりの頃はセリにも上場したらしい。

 

 「昔は良く買い叩いてやったよ。」と自慢げに古今物語をする花屋は、今となっては先見の明のない御仁ということになる。

 

 先駆者の偉業に一般人が追いつくのには、果てしない時間が掛かる。

 

 誰もが普通にこなしている仕事を日々しているようでは、いつまで経っても僅かな銭勘定しか出来ない人間に留まってしまう。

 

 先へ・・まだ誰も辿り着かぬ高みへ・・・。

 

 夢中で、思想や個人的な見解を饒舌していると、席の端の方であくびしている連れがいる。

 

 誰もが楽しく飲める様に、べしゃり上戸としては気をつけないと。

 

 でも、そんな事、気にしてられっかぁぁ〜!













2009年5月27日(水)
「 Running on Empty  













 数週間前の週末に、レゲエフェスティバルに行っていた。

 

 普段から心身すり減らし仕事をなさっている市場の方や生花店の皆様からすれば、

「また、堀木は遊んでるのか・・」

と中傷を受けそうなものだ。

 

 実は、飯田市で「音楽と農業とエコ」をテーマにイベントが行われた。

 

 普段から、音楽と花を強引に結び付けたがっている私には、格好の餌食かと思われ、協力する事にした。

 

 音楽のジャンルは「レゲエ」であったため、「楽器を持てないロックンローラー」の私には多少抵抗があったが、そこはそれ、ノってしまえばこっちのものである。

 

 協力依頼があってから、イベント当日まで1ヶ月と差し迫ったものではあるが、数回準備にも助力出来た。

 

 フェス当日も通し3日の内の1日は参加でき、だらだらと音楽を聴きながら、アイスとバラを販売した。

 

 正直、野外フェスでバラは売れないと思っていたが、安価なのも手伝って、そこそこ売れた。

 

 音楽フェスでトマトやバラを売った所で、それほど音楽を聴きに来た客が、農業に関心を持つとも思えない。

 

 「エコだ!」「農業だ!」と謳っても、自分の事で精一杯の若者の心を揺さぶる事が、出来るとも思わない。

 

 ただ、微弱なりとも波紋を投げかけるだけでもいいと思う。

 

 「頑張る」という言葉の語源には、「眼張る」=「目をつける。見張る」というのが有力な由来らしいが、「我を張る」という説もある。

 

 私は後者の方が、当たっている気がする。

 

 誰に何と言われても、初志を貫徹する。

 

 愚直なまでの一本気こそが、「頑張る」という事では、ないだろうか。

 

 批判など、私の様なクズ野郎にでも出来る。

 

 やり抜いた者だけが、口にすることが出来る魔法の呪文がある。

 

 「じゃあ、お前がやってみろ。」

 

 何事にもケチをつけるだけの輩は、皆、閉口せざるを得ない。



2009年5月20日(水)
「 生えてくる翼は 白か黒か  

 先日、近所に住む従兄弟が出張中の為、甥っ子の鯉のぼりを降ろして欲しいと頼まれた。

 

 伊那に吹く谷風で激しく絡み合った、鯉のぼりを降ろしていると、甥っ子が

「きーとぉーんっ!」

と虚空に叫んでいる。

 

 最近の彼のブームかと思い放置しておいたが、その内、何やら歌いだした。

 

 調子っぱぐれではあるが、確かに「雲のーマシンで今日も飛ぶーのさー」と歌っている。

 

 ドラゴンボールだ!!

 

 そう、彼が今はまりに、はまっているのは日本が生んだ世界のジャパニメーションの巨匠・鳥山明氏が週刊少年ジャンプで連載し、その後アニメで一代ムーブメントを起した漫画である。

 

 私が小学校の頃に、夢中で読んでいた漫画が、時を経て現代の子供たちの心を鷲掴みにして離さないのだ。

 

 彼はその後、何度も「筋斗雲」を呼んでいた。

 

 私も当時は、努力すれば「かめはめ波」を撃てると信じていた。

 

 努力も虚しく空振りする事は、世の常である。

 

 母の日以前に、大量に注文頂いた「オリエンタルキュリオーサ」「ワンダーウォール」「バイアモーメント」「オレンジジュース!」は我が家の努力虚しく、母の日に間に合わなかった。

 

 前回出荷していたのが3月下旬。

 

 それが5月中旬の今となっても、安定して出荷できない。

 

 何とも申し訳ないが、到花日数の長さをご理解頂けであろうか。

 

 我が家とて、母の日前の繁忙期に出荷できれば、大儲けできたであろう。

 

 しかし、詩人の相田みつを氏は詠う。

「花には人間の様な駆け引きがないからいい。ただ咲いて、ただ散ってゆくからいい。ただになれない人間の私。」

 

 金儲けをしようとした私を、諭す様にオリキュリの蕾はゆっくり育つ。

 

 保育園に通いだした甥っ子は、日に日に悪ガキに成長する。

 

 「筋斗雲はいい子しか乗れんで、言う事聞かん様な悪い子に、筋斗雲なんか来んに!」と甥っ子をたしなめる。

 

 己に言っている様で、心が痛む。

オリエンタルキュリオーサ


ワンダーウォール


バイ ア モーメント


オレンジジュース!


2009年5月16日(土)
「 雰囲気  











 「髪は女の命」というが、「前髪を作る」と言う言葉を聞いた事があるだろうか。

 

 前髪は「作る」ものではなく「生える」ものだと思っていた私は混乱してしまった。

 

 どうやら話を聞くと、前髪を切る事を「作る」と言うらしい。

 

 男性はあって然りの前髪だが、女性は横や後ろ髪同様、長く伸ばしている事がある。

 

 それは前髪が「ない」という状況らしい。

 

 そう言われて意識してみると、前髪がある女性は幼さが出て、かわいらしくなる。

 

 前髪がなかったり、髪が長かったりすると、大人びた印象をうける。

 

 それが女性にとっては重要な問題らしい。

 

 随分前にブログ内で、「我が家の段ボール箱のデザインは変えるつもりもない。」と記したが、この度我が家のロゴマークを作ったので、一部変えることにした。

 

 ロゴのモチーフになったのは、我が家のホームページのトップを開いて頂いて始まるムービーの最初の画像である。

 

 父の手とバラをロゴマークにして見た。

 

 マークも同様にトップページに貼ってあるので、お暇な方はご覧になって欲しい。

 

 私が長野へ戻り、就農してから早5年。

 

 最初にした仕事が、手とバラを写真に収める事であった。

 

 私の手も、あの手の様な雰囲気を持ち出しただろうか。

 

 「いやいや、まだ青二才だよ。」と父の手が嘆いている。

 

 これからも、薄汚れたごつい手で、綺麗で温かいバラをお届けしたい。

 

 髪を切った事に気付いてくれるだけで、女性は嬉しいという。

 

 普段からそういう微細な変化に、気付かなくてはいけないと思い。

 

 「おっ!髪切った?」などと言うと、「切ってない」とか「だいぶ前に!」と言われてしまう。

 

 所詮、百姓の私にジゴロへの道は遠いようだ。



2009年5月12日(火)
「 Spin off  

 *今回のブログは少し「バラ屋」を離れます。興味の無い方は読み飛ばして下さい。

 

 5月に入り気が付くと10日になっている。

 

 「母の日」関連の仕事の増加など、我が家としては微々たるものであった。

 

 正直「母の日」など、どうでもいいようなことが、身の回りに起きた。

 

 3日の深夜と言おうか、4日未明と言おうか、私の住む町に大火事がおきた。

 

 普段から町民の血税で子飼いにされている我々消防団は、おっとり刀で現場に行くと、尋常ではない程火柱が上がっている。

 

 深夜の住宅地に何が起こったのかという程、赤い光と黒煙が天を覆っている。

 

 夜間、4時間近くに渡り放水し、水を探し、びしょ濡れの体でホースと筒先を抱え走り回った。

 

 悲鳴と怒声の飛び交う中で、煙に巻かれ、何かに獲り付かれたかの様に火と戦った。

 

 気が付くと空は白ばみ、少し焦げた眉毛と赤外線に焼かれた白目が痛む。

 

 そして全身から漂う蒸気と煙の匂い。

 

 5棟全焼。

 

 車も2台燃えた。

 

 水蒸気を吐き出す消し炭となった家屋が、私たちに「敗北」という2文字を浴びせかける。

 

 一旦帰宅し僅かな休息と着替えを済ませ、片付けに赴く。

 

 泥だらけになった器具を洗い、消防車に積み込む。

 

 疲れた体を引きずる様に、潰れてしまった休日へ、仕事があるものは本業へと団員が帰っていく。

 

 冷静になると体のあちこちが痛む、自分が予想以上に火に接近していた事に恐怖する。

 

 日の光に晒された焼け跡は、私たち以上に、家も家具も仏壇も思い出さえも奪われた家主に絶望を与えるだろう。

 

 人々が幸せであって当たり前である筈のゴールデンウィークに、この様な悲劇があっていいのだろうか。

 

 私にもっと消火の知識があったなら、あの時もっと早く走れたら、誰も不幸にせず済んだだろうか。

 

 私にとって忘れる事の出来ない屈辱と敗北を味合わせたこの火事が、生涯最初で最後の大火であって欲しい。

 

 切に、そう願って已まない。



2009年5月2日(土)
「 大根足  




ロマンチックキュリオーサ


ロマンチックキュリオーサ


ロマンチックキュリオーサ

 先週末の南信州は、4月とは思えない異常な寒波に見舞われた。

 

 東北や北海道でも、そうだった様に信州でも山々は雪を冠し、林檎の薄ピンクの花の先に雪が見える光景が広がった。

 

 外気は日中でも15℃程度で、夜間になれば10℃を下回った。

 

 そんな中、私は凄い物を目にした。

 

 凍てつく風が吹く信州で、マイクロミニのスカートに生足でピンヒールを履く女性を目にした。

 

 等身からすれば、5分の2程度は裸である。

 

 「お嬢さん、気でも違えたかい?」と、老婆心をむき出しにしてしまいそうだが、思い止まる。

 

 「美」というものは様々な分野があるが、人工美や装飾美とは人を超越したものとなる。

 

 「お洒落は寒さとの戦い」と言うモデルさんもいるし、首長族なども美の追求の為に痛みを惜しまない。

 

 水耕栽培もまた、そう言ったものと同じではないだろうか。

 

 究極の美を追求する為に、植物を土という、無くてはならない存在を切り離し、全ての環境と肥料を掌握する。

 

 設備投資やランニングコストを考えると、美を追求するのは容易なことではない。

 

しかし、土耕栽培に比べ、花弁数が多く、大輪になるし、丈の長い花が数多く収穫できる。

 

業界の一部では、土耕の方が優れているという説もあるが、一概にそうと言ってしまうのは、あまりにも軽率である。

 

土を捨てて美を追求する事には、飽くなき研究や試行がいるが、その結果得られたものは、パッチリお目々の目力アイメイクやフワフワ愛されパーマ、セクシー足長ピンヒールに匹敵する程の美ではないだろうか。

 

そんな中で、我が家の人工美である「ロマンティックキュリオーサ」をご覧頂きたい。

 

 決して最新の品種ではないが、コロンとしたアイボリーホワイトにクリームと淡いピンクの花に、芳香甘く、展開は力強く、されど柔らか。

 

 「大根足」とは今や女性の足をバカにする言葉であるが、「古事記」では白く柔らかい曲線を描く女性の美しい手足を大根に例えた。

 

 寒風に晒される大根足・・・。

 

 切干大根は確かに美味い。


2009年4月29日(水)
「 かえるぴょこぴょこ  

 八重桜も散り、野山には山吹、菫、花水木、タンポポが春を色濃く伝える。

 

 この時期になると、徐々に水田も忙しくなる。

 

 我が家は、田んぼを持っていないが、温室周辺の空き地の様であった田んぼが、耕され、幼苗の生育の為に水が張られる。

 

 そうなると、我が家には多くの来客が訪れる。

 

 かえる様である。

 

 彼らは、まだ肌寒い信州の春を凌ぐ様に、わいわい温室に入って来ては、何故か我が物顔でバラの葉や根元に陣取っている。

 

 お偉いかえる様ともなれば、花びらの中にいる。

 

 しかも、数日動かない。

 

 大抵はアマガエルであるので、かわいいもんだ。

 

 雨を受けたばかりの苔のような色をして、パクパク呼吸をしている。

 

 同様の緑色と言ったら「ジプシーキュリオーサ」に嫌がられるだろうが、彼女も春の光を敏感に感じて、美しい緑色になってきた。

 

 極稀に、全ての輪が、本当に濃い緑色になる。

 

 温室内は、未だピンクと白色に近い「ジプシーキュリオーサ(アッシュ)」があるものだから、その一体だけ、朱色とオレンジ、ピンクと白、濃淡の緑色の森の様である。

 

 正直、朝晩の花切り仕事の時は気分がいい。

 

 一人花見と洒落込んでしまう。

 

 このまま、良い天候が続き、全て美しい「ジプシーキュリオーサ(グリーン)」になって、もらいたい。

 

 花を切る時、かえる様がくつろいでいる時がある。

 

 「ちょっと、どいてよ。」と私が言うと、煙たそうに私に一瞥し、跳んで行く。

 

 あの太々しさ、誰かに似ている。



ジプシー グリーン

ジプシーキュリオーサグリーン



2009年4月26日(日)
「 雄弁は銀なり 沈黙は金なり  












 成人すると、試験や試合に臨む事が減る。

 

 学生の時は、受験やテストがあるし、部活やサークル等の試合がある。

 

 社会人になっても資格をとる人はいるが、大抵の場合、日々仕事と家庭だけの安穏な生活を垂れ流すのが、通常であろう。

 

 しかし、社会人である前に、家族の中の1ピースである前に、確固とした一人の人間である為に、何かに挑戦したいものである。

 

 趣味でも資格でもボランティアでも、何でも良い。

 

 他者に審査、評価されない事が、然も全ての物に合格してしまっている様な錯覚に陥る。

 

 努力過程で人間性が窺える時がある。

 

 努力を誰にも公表せず、黙々と挑戦する人と、他者に大袈裟に公表して、抜き差しならない状態に自分を追い込む人。

 

 最近、我が家では新人が入った。

 

 「常温煙霧機」である。

 

 簡単に言うと、農薬や葉面散布肥料を超ミクロンの霧にして、温室内に散布する。

 

 無人で出来るので、夕方に設置しておくと、せっせと薬散してくれる。

 

 水も殆んど使わなくなるし、労力も減る。

 

 どうも見た目が「スターウォーズ」に出てくる「C-3PO」に似ているので、ロボットみたいだ。

 

 高温時や雨天時、温風機作動中は使用できないので、制限はあるが、何やら頼もしい。

 

 テストや試合を控えている時の私は、ガリ勉だの熱血だのと人に言われても、動じない。

 

 精密機器の様に正確に動き、淡々と物事をこなして行きたい。

 

 そんなわけで、我が家では新入りの「C-3PO」と私「R2-D2」のロボット2枚看板で、今後の堀木園芸を盛り立てたい。

 

 って!誰がドラム缶体型やねんっ!!



2009年4月18日(土)
「 照らす光  

 アメリカ人の子供に太陽の絵を描かせると、黄色に描くらしい。

 

 日本人の子供は大抵、赤い太陽を描くだろう。

 

 一日の内に、どちらの太陽も存在する。

 

 月もたまに赤く光っている事があるが、光というのは、虹でお馴染み「赤橙黄緑青藍紫」の七色で構成されている。

 

 その中で、赤色の光は一番強い光の為、空気が汚れていても遠くまで届く事が出来る。

 

 故に、夕方や地表近くは大気中にちりが多い為、赤色に見えるらしい。

 

 一月に定植した「イリオス!」がもう随分大きくなった。

 

 土耕栽培で新植した苗は、まだ小さいが、水耕栽培でリスタートを切る「イリオス!」は、母の日辺りには十分採花出来そうだ。

 

 「イリオス」というのは、ギリシャ神話の太陽神「Helios(へーリオス)」から名前を取られているのだろう。

 

 真昼の太陽の様に、クリームがかる白の中に、爽やかな黄色を帯びる。

 

 何だか、あったかい様な気にさえなってしまう。

 

 黄色系のバラは、その殆んどが「ソレイユドール」という黄バラの血を継いでいる。

 

 どちらかというとオレンジ色に近いそのバラは、黄バラ第一号と言われていて、「イリオス!」同様フランス語で太陽という意味の「Soleil(ソレイユ)」を冠している。

 

 何代も前のおばあちゃんと同じ太陽の名前を持つ、「イリオス!」の成長が楽しみだ。

 

 もうすぐ、どこかの街角で誰かを優しく照らす存在になってもらいたいものだ。

 

 「どうして、夕焼けは赤いの?」

 

 「それはね。『明日の朝まで私の事を忘れないでね。』って太陽さんが、微笑んでいるからだよ。」

 

 人に聞かれると、ついつい、そう答えてしまう。

 

 「メルヘンチックホリキ」を、どうぞこれからも宜しく。








イリオス!



2009年4月15日(水)
「 八重歯  



アンネマリー



アンネマリー



 今年の流行語大賞は間違いなく「不景気」なのではと思う程、何処も彼処も「不景気」に汚染されている。

 

 そんな中、「ユニクロ」「マクドナルド」「東京ディズニーランド」は業績を伸ばしている。

 

 私も二十歳前後に行った事があるが、東京ディズニーランドの徹底ぶりには、こうべを垂れる他無い。

 

 アトラクションもさる事ながら、私が感動したのは「キャスト」と呼ばれるスタッフの玄人精神に圧倒された。

 

 丁寧な言葉遣いと満面の笑顔、買い物をすれば「いってらっしゃいませ」と、麻布のウエイティングバーを彷彿とさせる気遣いと、ローラーブレードを颯爽と乗りこなし、紙くず一つ掃き採る姿。

 

 過剰供給とも呼べるサービス精神に、心を打たれなければ、人格を疑われてしまう。

 

 地上で最も有名なげっ歯類のミッキーの足元にも及ばないが、ブライダル系のバラには特に細心の注意を払っている。

 

 実際はフラワーシャワーになっているかもしれないが、もしかしたらブーケになるかもしれない。

 

 花嫁さんの一世一代の晴れ舞台の為に、神経すり減らして仕事をなさっているお花屋さんに、箱を開けた瞬間、落胆させてしまっては申し訳立たない。

 

 白バラは、白である故に傷に弱いが、なるべく丁寧に生育から箱詰めまで気を使っている。

 

 「アンネマリー!」は我が家に来て4年ほど経つが、なるべく日に当たらない方が綺麗である。

 

 オランダ産の「アンネマリー!」をご覧になった方には、お分かりであるだろうが、国産のそれより遥かにアイボリーである。

 

 我が家では「アンネマリー!」を2箇所の温室で育てているが、温室の中で最も西側に位置し、中央アルプスの影響で、最も西日の当たらない区域は、色が乗っている。

 

 これから何とか徹底して、アイボリー色の「アンネマリー!」をたくさん出したいものである。

 

 入場者数が右肩上がりの「東京ディズニーランド」の9割がリピーターであるという。

 

 私は1度きりしか行ったことが無いので、その僅かな1割に入っている。

 

 その1割でいる事で、何故かディズニーランドに勝っている気がする。

 

 まぁ、そんな事などミッキーは歯牙にもかけないであろう。

2009年4月11日(土)
「 Previous Life  

 宗教用語で「輪廻転生」というのだが、人は生まれる前は別の人生を歩んでいたらしい。

 

 自分の前世があるのなら、知りたいとも思うが、それよりも興味を惹かれるのは、今の自分の人生で出会っている人々は、前世から何らかの関係があるらしい。

 

 親しい友人が元は兄弟だったり、上司が元は師匠だったりなどだ。

 

 そうなると今親しくしている人が、何やらもっと大切に思えてくる。

 

 万が一、現世で関係をこじらせてしまったら、前世で築いた関係と来世でまた会うであろう約束が、失われてしまう。

 

 先日、誕生日を向かえ三十路までリーチがかかった私だが、人生を振り返るとたくさんの人のお世話になっている。

 

 私はまめな方ではないので、お世話になったにも関わらず、疎遠になってしまっている人もいるが、また出会うであろう来世の事を考えると、やはり大切にしたい間柄がある。

 

 私が東京の南青山の「ル・ベスベ」で働いていた時、大変お世話になった人がいる。

 

 彼は開店当初から、その店で働いていて、スタッフの中でリーダー的な存在であった。

 

 私とは歳が10離れていて、こだわりのある大人びたスタイルの割には、イタズラ好きで、スタッフをおちょくっては、ケラケラ笑っていた。

 

 彼は多分かなり花が好きなのだろう。

 

花の知識も豊富で、ヒゲ面からは似合わない可愛らしいアレンジメントや花束を高速で作り、彼の手には魔法がかかっている様に見えた。

 

生まれ持った感性の差に、しばしば私は劣等感を感じたものだ。

 

そんな彼が40歳を期に、東京を去り、地元群馬に戻る事となった。

 

「ル・ベスベ」に行くと当たり前の様にいた彼がいなくなるのは、とても寂しいし、他人事ではあるが、私には持ち得なかった「魔法の手」を花業界に残して欲しいと思った。

 

南信州から見ると、ちょっと遠くなった群馬と、未定の彼の次の仕事を考えると、またまた疎遠になってしまうようで、何やら物悲しいが、そうは言ってもまた会えるであろう。

 

もし現世で会えずとも、また来世で私に花とコーヒーの良さを教えて頂きたいものだ。

 

金井さんお疲れ様でした。






2009年4月7日(火)
「 コマーシャル 〜スペンド ア ライフタイム編〜  

 

 「友達とコンサート行くから、来月3日間、実家に帰るね。」

 

 藪から棒に言われたその言葉に、ただ頷くしかなかった。

 

 自分も好きな海外アーティストが来日することになった。

 

 二人で行こうかと思っていたのに、文恵に先を越される所か、
置いてきぼりに会ってしまった。

 

 「すみれは?」

 

 「もちろん連れて帰るわよ。お母さんに見てもらうから。」

 

 1歳になる愛娘まで、連れて行かれてしまう。

 

 出産時以来の一人ぼっちだ。

 

 「じゃあね。いってきまぁす。すみれ、パパにバイバイしようね。」

 

 一ヵ月後、いつもは薄化粧なのに、今日は目元がパッチリしていて、
スカートなんか履いている。

 

 半分寝かかっているすみれは、こっちを見向きもせず、
手だけを無理やり振らされている。

 

 いつもは、自分が家族を残し、飲みに行ったり、友達と遠出したりしていたが、
久し振りの一人ぼっちに唖然としてしまった。

 

 飲みに行こうと友達を誘っても、間が悪く断られてしまい。
3連休で仕事もなく、やる事もない。

 

 それでも久々に食べるカップラーメンと昼間からのビールに舌鼓を打つが、
2日目の昼には飽きてしまった。

 

 いつもは「うるさい!」と言われるギターをかき鳴らしたが、何やら寂しい。

 

 「独身の時は、こんな寂しい男じゃなかったはずだ!」と一念発起し、
独身時代に良く作っていた特性カレーを作る事にした。

 

 文恵にも一度作ってあげたが、「こんなに原価がかかってたら、美味しくて当たり前。」と言われ、暫らく封印していた。

 

 夕方には文恵もすみれも帰ってくるから、持て成してやろうとスーパーへ揚々と出かけた。

 

 食材を満載したビニール袋を持ち、いつもは「太るからダメ!」と禁止されている
チョコレートバーを頬張りながら歩いて帰る途中、いい物を目にした。

 

 5時を過ぎると鶏肉がトロトロになり、カレーは上出来。
テーブルも綺麗に片付けて、カップラーメンとチョコレートバーの容器も処分した。

 

 テーブルの上の花を見て、文恵の好反応を期待する。

 

 聞き慣れたエンジン音が止まる。

 

 玄関まで迎えに行こう。


 ありふれた毎日を 特別な一日に

 当たり前の様にいる大切な人へ「スペンド ア ライフタイム」

 

 

 

  
    
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