怒りや憎悪というものは、ある種の感染症のような性質がある。
報復や八つ当たりという形で感染していく。
他者に心底腹の立つ行為をされた時、仕返しや八つ当たりをしてしまった事はないだろうか?
先日、毎年恒例のロックフェスティバル(以後:フェス)に行ってきた。
週休の無い私にとって、盆暮れ正月+フェスぐらいが定休日だ。
毎年、日柄や出演者の好みの都合上、訪れるフェスが不規則に変わる。
今年のフェスは、第一回の開催という事もあって、段取りが悪く、不手際が多すぎた。
それだけならまだしも、会場関係者の態度の悪さが一際目立った。
私も大人気なく何度も腹を立ててしまい、今となって後悔している。
数万人の人々が一組のアーティストの歌声に酔いしれると、会場全体に平和的な共通の感覚が生まれ、誰もが仲良くなれる気がする。
祭りというものは、そういうピースフルなものでなくてはならない。
しかも、最近話題のゲリラ雷雨の為、途中で中止になってしまった。
友人と共に途方にくれていたが、「捨てる神あれば、拾う神あり」である。
我々が車を駐車した駐車場のおばさんがとても親切で、料金格安にしてくれただけに留まらず、会場までのタクシー代を憂いて送って行ってくれたり、泊まるところのない我々の為に最寄りの旅館に問い合わせてくれたり、見つからなかったら、そのおばさんの空き部屋に泊まっていっていいとまで言ってくれた。
結局、迷惑をかけてはいけないと、ご厄介にはならなかった。
我々はその親切なおばさんに何度も頭を下げ、夜中に私達はその町を後にした。
怒りや憎悪の感染症の特効薬は誰かの優しさではないだろうか。
「Monkey
Majik」というアーティストの曲に
「ただ、ありがとう伝えたくて。ただ君の笑顔を見たくて。今、幸せを伝えたくて。ありがとう君と出会えて。」(一部割愛)
という歌詞がある。
新潟の地に住むあのおばさんに、「ありがとう」と我が家のバラを送りたいと思う。
「ありがとう」や「おめでとう」に密接な関係のある花の仕事をしているのだから、私も温厚にならなければならない。
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