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2009年9月30日(水)

「 食べちゃうゾ 


 普段は昼行灯の如く、のらりくらり仕事をしている私だが、繁忙期になれば寝食を惜しんで仕事をする。

 

 朝、花切りを始めて昼過ぎの出荷作業を終えるまで、気が付くとサラリーマンの就業時間ほど食わず休まずで仕事をすることがある。

 

 しかし、「アメ車」と異名が付く程、燃費の悪い私は、腹が減って仕事の手は休めなくとも愚痴はこぼす。

 

 次第に足腰に力が入らなくなって、膝が震えだす。

 

 ご存知かもしれないが、植物の肥料には「三大肥料」というものがある。

 

 「窒素」「燐酸」「加里」である。

 

 「窒素」は、主に葉や茎の成長に作用し植物を大きく育てるが、過剰に供給すると病気がちの植物になってしまう。

 

 「燐酸」は、根の成長を促進させる。

 

 「加里」は、果実や花の成長に効果があり、引き締まった樹勢にさせる。

 

 大まかに言ってしまえば、上記の様な作用があり、どれも植物の成長に欠かせない。

 

 水耕であれば溶液に、土耕であれば肥料に、その成分が含まれているが、場合によっては「葉面散布」と言って、農薬散布の要領で植物に直接かけて即効性を求める事もある。

 

 その他にも、「微量要素」と呼ばれる栄養成分が欠かせない。

 

 私の様な未熟者には、まだチンプンカンプンであるが、一流の農家は葉や茎の状態を見ただけで、どの栄養が欠けているか分かるというのだから、恐れ入る。

 

 「ダイエット」と称して栄養バランスを考えず断食すると、「オートファジー(自食作用)」というものが細胞内で始まるらしい。

 

 細胞が自らのたんぱく質を分解して栄養素にするのだ。

 

 生物としてはかなり危機的な状況だ。

 

 仕事中に膝が震えだすと「オートファジー」が始まったのではないかと、戦々恐々してしまう。

 

 早く栄養を取らなくては死んでしまう。

 

 ちなみに私の三大肥料は「肉、生肉、酒」であろうか。















2009年9月25日(金)

「 禁酒 








 月に一・二回程、「死にたい」と思うことがある。

 

 極度の二日酔いのせいだ。

 

 私という人間は、学習能力に欠けているのか、何度地獄の苦しみに焼かれながらも、際限なく「自業自得」を繰り返してしまう。

 

 頭痛と込み上げる吐き気、気だるさ、重い体を抱え、頭も働かず職場を右往左往する。

 

 「いっそ殺してくれ」と悪態までついてしまう。

 

 南信はいよいよ秋も深まり、黄昏色になびく稲穂は刈り取られ、林檎は次々と頬を紅に染める。

 

 数日前から、我が家ではいよいよ暖房をしはじめた。

 

 早朝は気温もさがり、採花本数が落ちてきたのもあるし、低温でバラの葉に露を持つと、病気の原因になる。

 

 一年間、風雨に耐えてきた温室の外装も一部新しくし、徐々に冬支度をしていく。

 

 暖房機は、温室内の温度が一定を下ると加温される様に設定されている。

 

 現在の我が家では、20℃設定である。

 

 この時期では、燃焼時間は短いが、それでも今後「母の日」まで焚いていると思うと、年間の重油代は計り知れない。

 

 地球温暖化は、地球上の生物が危惧する案件ではあるが、「暖冬だと良いなぁ」と身勝手に思ってしまう。

 

 日を増す毎に、秋の釣る瓶は早く落ちるが、秋の澄んだ日差しを全身に受けて、我が家のバラは花冠も大きく、良い品質になっていく。

 

 暗くなると仕事が出来ないので、さっさと帰宅して風呂上りに今日も一杯。

 

 地獄の業火に焼かれる事があっても、喉を滑り降りる気泡が生きている実感を与えてくれる。

 

 バカは死ぬと治るらしいので、生きてる内にバカでないと。



2009年9月21日(月)

「 ココロ クダク 


 知人、友人、尊敬する人のブログを読むのは、面白い。

 

 ただ大抵の場合、読んだ後に後悔の念が溢れる。

 

 ある人は、気の赴くままに日常の風景を言葉にする。またある人は、日々の文化水準の高さからか、軽妙かつ美しい文面を推敲する。

 

 私はというと、高尚ぶった稚拙な文字の羅列にしか思えず、もうブログなど止めてしまおうかと思う時がある。

 

 我が家の温室に、足を踏み入れた取引先やお花屋さんが、バラの仕立てを見て疑問を抱く。

 

 水耕、土耕に関わらず、バラの枝が折り曲げられているからだ。

 

 水耕の場合は特に「アーチング」「ハイラック」「レベリング」と方式は様々あるものの、花を付ける枝と、花を取られ外側に折り曲げられているものがある。

 

 前者は勿論、採花・出荷用のもので、後者は葉を絶えず木に残す事で、次世代のバラを育てる役割を果たす。

 

 言うまでもなく、葉は光合成をしており、常に旺盛な葉を木に茂らせておく事で、続々と元気な新芽を吹かせるのだ。

 

 枝の折り曲げ技術にも色々あるが、枝が裂けてしまわない様に曲げていくのが定石で、折口が裂けるとそこから枯れてしまう場合がある。

 

 故に慎重に作業を進める。

 

 慣れてきたり、折り曲げやすい品種の場合は、かなり高速で作業できるが、気を抜くと「バキッ」と音を立てて折れてしまう。

 

 思わずこちらも「ああッ!」と声が漏れてしまう。

 

 次の枝に移らざるを得ないが、悔しさと罪悪感が込み上げる。

 

 しかし後日、裂かれた折口から、赤い角の様な新芽が力強く立ち上る。

 

 生命の強さと健気さに感銘を受ける。

 

 植物の生命力を目の当たりにすると、勝手にいじけて心を折られている私の方が、バラに育てられている気にさえなる。

 

 枝は折れてもまた芽吹き、骨は折れれば強くなる。

 

 私も負けじと仕事をし、駄文を連ねたい。

 

 (良し!最高のブログが書けた!)













2009年9月16日(水)

「 孤高 











 信州の朝晩はだいぶ涼しくなってきて、Tシャツでの早朝の花切りは少し寒い。

 

 今朝温度計を見たら5℃を下回っていて、何かの間違いだと思ってしまうほどだ。

 

 夏の終わりを告げるように、澄んだ湖をひっくり返したような秋の空に、真白な太陽が孤独に浮かんでいる。

 

 夏の風物詩の一つである「蚊」は、嫌われ者であるが、常日頃は花の蜜を吸っているらしい。

 

 出産を控えた雌の蚊だけが、栄養価の高い血液を吸いによってくる。

 

 いくら栄養価が高いといっても、必要以上に強く打ちのめされて、殺されてしまうリスクを背負って吸う程のものなのだろうか?

 

 過日の「青木&堀木フェア」の際に、素朴な疑問を投げかけられた。

 

 花保ちのいいバラは増えてきているが、それで香りがあれば、尚の事良いというのである。

 

 私は「芳香性」と「日持ち性」の反比例について話をした。

 

 元来「ハイブリット・ティ」と呼ばれるモダンローズは、芳香性と四季咲き性の強い「ティ・ローズ」と大輪で多花性のある「ハイブリット・パーペチュアル」の交配種である。

 

 故に、香りが強い。

 

 されど、採算性、市場性を追及する際に「花保ち」「花冠の大きさ」「花色」「採花量」「耐病性」「樹形」を優先させてきた。

 

 特に「花保ち」と「芳香性」は相反する。

 

 現在の営利栽培のバラに強香な品種が少ないのは、芳香性を重視しなかった市場性や育種に端を発するのではないだろうか。

 

 進化の過程に謎は残るが、その歩みには必ず理由が存在する。

 

 蚊に刺されているのを発見すると、その箇所の筋肉に力を入れる。

 

 そうすると蚊は、くちばしが抜けず動けなくなってしまい、私に終止符を打たれる。

 

 タダでくれてやる程、私の血は安くない。

 

高飛車に彼らの亡骸を切り捨てる・・・・でも、かゆい。



2009年9月9日(水)

「 Crazy for you 











 先週の金曜日に、世田谷市場の仲卸「Wiz」において、千葉県・青木園芸と堀木園芸のコラボレーションフェアが行われた。

 

我々に場所提供と依頼を頂いたのは、普段から我々に目を掛けてくれている「Wiz」内の「foo-flo」である。

 

 青木園芸は、レースフラワーを始め、アイビー等の各種葉物、ハイドランジアで名を馳せる有望産地である。

 

ご子息は、「良平」という名が表す、然も良い人そうな雰囲気と智謀を併せ持つ、私にとっての好敵手、いや目の上のたんこぶと言ったところだろうか。

 

彼の産み出すハイドランジアオータムと、我が家の「ジプシーキュリオーサ」のグリーンが以前、「ホテル・リッツ・カールトン」のロビーに飾られていた事が、今回のコラボフェアの発端となった。

 

4時前に市場に着き、自ら好きな様に花を飾っていく。

 

ほぼ全品種を箱から出し、バケツに飾って値段を着け終わると・・・「ジプキュリグリーン」が最早ない。

 

5時を回ると、花業界を彩るデザイナーが其処此処に現れ、笑顔に似合わぬ機敏な動きで花を手にして行く。

 

試作も持って行ったので、意見を聞いたり、質問に答えたり、空になったバケツを片付けたり、忙しなく時間が過ぎてった。

 

私が販売現場を、遠巻きに眺めていて感心したのは、お花屋さんが左腕に抱えている多種多様な花の色併せである。

 

人によって様々であるが、「こんな感じが好きなんだろうなぁ。」とか「えっ!? その色とその花??・・あうねぇ↑↑」等と一人心中でわくわく傍観していた。

 

いくら「花の女王」などと持ち上げられても、他の花との調和がとれなくては、バラでさえ使い辛いだろう。

 

隣のハイドラの売れ行きに気を取られながらも、気が付けば正午を越え、店頭はほぼ完売。

 

昼食兼打ち上げを世田谷市場の金子さんを迎え(これ書いていいのかな?)、皆で昼から焼肉屋で大宴会。

 

肉が焼け、酒が舞う、毒舌が飛び交い、爆笑が渦を巻く、抱腹絶倒のフェアの締め括りとなった。

 

花バカが集まり飲む酒は、この上ない。

 

肉屋では、口角泡を飛ばし話し倒す私も、見ず知らずのお花屋さんには話し掛けられない。

 

人見知りシャイボーイなのだよ。こう見えて。



2009年9月1日(火)

「 君に届け 


 音楽や本、信仰の解釈は人それぞれ違っていても良いと、私は思う。

 

 生い立ちや感受性が同じでないのなら、同じ空を見ても同じ色には感じまい。

 

 日本国歌の「君が代」には、多くの人が様々な意見あるだろうが、私は嫌いではない。

 

 若干、暗い感じはするが、「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」という歌詞はかなり好きである。

 

 ただ、私にとって「君」とは天皇やそれら統治側の人間ではない。

 

 私が盾となっても守りたいと思う家族や友人そして大切な人たちを指す。

 

 過日に衆議院総選挙があり、日本の舵が大きく切られる結果となった。

 

 私の様な者が、凡小な見解を述べてもつまらないだろうし、そういうことは各種メディアにおいて専門家の先生からご高説を賜った方が遥かに有意である。

 

 今回の選挙結果を通じて、私が一番着目した点は、投票率70%だったという事だ。

 

 多いという方もいるだろうが、私にしてみれば少なすぎる。

 

 投票権は、我々民草が血税を支払う事で、唯一手に入れるささやかな権利である。

 

 かつてこの国では、国の行き先を憂い、白刃を血に染め戦った先人がいる。

 

 海の向こうでは、未だに国を思い、民を想い、争いが絶えない。

 

 紙一枚で、誰一人死ぬことなく、革命が起せる幸福を30%の人間が無視をしたのだ。

 

 もしくは行政の怠慢で、投票に行けなかった人もいるかもしれない。

 

 そうであれば、彼らは国民としての権利を蹂躙された事になる。

 

 それは、より良い世界を夢見て、血の海に身を投じた人間を侮辱している。

 

「私が死んでしまっても あなたやあなたの子供たちが 幾星霜も幸せでありますように」私にとって「君が代」の歌詞はそう聞こえる。

 

 政治が変われば、国は変わる。

 

 しかし、我々農民はいつの時代の変わり目でも、日々と変わらず田畑で汗を流している。






2009年8月27日(木)

「 コマーシャル 〜ジプシーキュリオーサ編〜 


「私たち別れましょ。」

「え?何々?なんで?ちょっと待ってよ。理恵子さん。」

 

 彼女を家まで送る車の中で、突然彼女が言い出した。

 

 僕はみっともなく取り乱し、運転も覚つかず、オイルが染み付いて、何度洗っても汚れた手でハンドルを切ると路肩に車を止めた。

 

 2ヵ月後、僕達は同棲する事となった。

 

 7年間付き合ってはいたものの、将来の事など全く考えてない僕に、彼女が不安になったようだ。

 

 正直、僕自身は今も結婚など考えられない。

 

 上司と折り合い悪く、なかなか給料も上がらない。

 

 何年働いても平社員のままで、毎日夜遅くまで車の修理に明け暮れていて、休日は寝てばかりいる。

 

 そのくせ、彼女が家に来ていても友人の誘いがあれば、遊びに出てしまう。

 

 7年という時間の積み重ねに、あぐらをかいていたのだろう。

 

 彼女をなだめるのは、とても大変で、それでも結婚には踏み切れなくて、お互いの妥協点が同棲だった。

 

 それでも、彼女の両親に挨拶に行った。

 

 就職活動以来着ていない、リクルートスーツに袖を通すと七五三の様だ。

 

 いつもは気のいいおじさんとおばさんの前でも、いざとなると緊張して、理恵子さんの方ばかりをちらちら見ていた。

 

 貯金も情けない程しかなく、新居の敷金礼金を払って、一文無しに近い。

 

 当面は、僕より給料が高い彼女の蓄えに頼っていくしかない。

 

 財布には、昼飯代とタバコ銭にと、彼女がくれた千円札とレシートの束。

 

「何だか情けねぇなぁ。」箱に入っていた最後のメンソールを、ため息と煙にして鼻から吐き出す。

 

 それでも今日理恵子さんは、休日を潰して一人で引越しの片付けをしてくれている。

 

 仕事を終え、玄関を開けると、昼飯とタバコを我慢して、やっと一本だけ買えた花を持って、安全靴を脱ぐ。

 

 台所から「おかえりー!」と理恵子さんの声、そして食い慣れた玉子チャーハンの香り。

 

 なんだかチョット嬉しい。

 

 ありふれた毎日を 特別な一日に

 

 色々な思いを一輪一輪に込めて「ジプシーキュリオーサ」




                            Product by   堀木園芸

2009年8月15日(土)
 鼻歌歌えば 朝日に 冷えた風が吹く  

 剣客の伝説の技に「鼻歌三丁矢筈切り」というのがある。

 

 余りの剣技の速さに、辻斬られた本人は全く気付かず、三丁(330m)を鼻歌交じりに歩くと、傷口から血が噴出し、絶命したという。

 

 以前、私がオランダに住んでいる時に、同じ寮に北辰一刀流の有段者が住んでいた。

 

 彼はバーテンダーの経験もあったらしいく「氷の目」というものが見え、氷塊を一撃の下に真っ二つに割っていた。

 

 私も真似したが、箸にも棒にもかからず、手が冷えるばかりだった。

 

 採花の際に、生産者は様々な鋏(ハサミ)を使う。

 

 農家によって使用する鋏は違うが、バラ農家の場合、「キャッチ」と呼ばれる部品が付いた鋏を使用することが多い。

 

 通販やホームセンターなどでも、見た事ある方はいるだろうが、切った枝や果実を掴んでおく事が出来るという便利グッズである。

 

 海外のバラの生産者も使用しているし、種苗会社のカタログにも後方のページに記載されている。

 

 棘のあるバラは、切った花を落としてしまうと、自身の棘で傷ついてしまうし、素手で扱うにはいささか度胸がいる。

 

 故にの使用頻度あろうが、我が家では使わない。

 

 我が家では、家族全員、普通の剪定鋏を使う。

 

 理由は切り口が潰れるからだ。

 

 言うまでもなく、バラは茎で水を吸い上げているので、切花になってからの吸い口である切り口を潰してしまっては、バラに良くないということだ。

 

 「キャッチ」がない分、切ったバラを瞬間的に掴まなければならない。

 

 ところが、最近「茎の目」が見える様になってきた。

 

 切ったバラが、切られた事に気付いていない様に、微動だにしない。

 

 切り溜めたバラを左腕に抱きかかえ、鼻歌交じりで咲いたバラを探していると・・・

 

 腰に下げていた鋏が無い!

 

 振り返るとバラの枝に鋏を奪われている。

 

 「フッ! まだまだだぜBoy!!」

 ぐはぁぁ・・・

     



     



2009年8月15日(土)
 拳銃に花の蕾を込めろ  

 この時期になると、日本人として決して忘れてはならない過去を意識する。

 

 「終戦」である。

 

 もちろん私は、戦争を経験した事がないが、祖父を含め日本にいる多くのおじいちゃん、おばあちゃんが激動の中を生き抜いている。

 

 父を含め団塊世代は、敗戦直後の日本を力強く復興させた。

 

 私を含め若者は、史実を知りもせず、彼らの顔の上に土足であぐらを掻いている。

 

 後60年も経てば、太平洋戦争も関が原の戦いの様に、昔絵巻になってしまうだろう。

 

  ただ、私がリアルタイムに見た「911」と呼ばれる、アメリカ、ワールドトレードセンターへの特攻は、戦争の断片ではないだろうか。

 

 テレビに映る惨劇に、正直涙が止まらなかった。

 

 何故、それが流れたかは、私自身にも分からない。

 

 私一人が、感傷に浸って、体液を垂れ流したところで、全く意味を成さないだろう。

 

 そうであっても、無念のうちに亡くなった乗客とビルで働く人々、彼らの家族、友人、恋人を考えると様々な感情が、私の中に泡ぶくの様に膨らんでは弾ける。

 

 「戦争」の意義や善悪などのクソみたいな話は、うんざりだ。

 

 でも、私も自分の大切な人たちが傷つくのであれば、身を挺して守るし、被害に遭えば必ず報復する。

 

 世界中の誰もがそう思うだろうに、何故相手側の気持ちがわからないのだろう。

 

 いざ戦争となってしまえば「花」なんて、何の効力も発揮しないだろう。

 

 それであっても、これ以上ない平和的な存在を育て続けたい。

 

 できれば世界中のミサイルに、核や火薬の代わりに、バラを詰めてしまいたい。

 

 私が悠長にバラを育て、それが誰かの元に幸せを運ぶ。

 

 そんな世界に成ります様に、と終戦の日に祈った。

                


2009年8月10日(月)
 邂 逅(かいこう)  





「言ってくれないと分からない」と、良く人は言う。

 

 また、日本文化の最たるもので「推して知るべし」という言葉がある。

 

 相反する事象ではあるが、言葉を使っても、使わなくても気持ちを伝える事は、難しい。

 

 「広辞苑」には24万語が収録されているらしいが、我々が普段口にする言葉の数など知れている。

 

 その言葉との出会い自体が、一つの導きのようにも思える。

 

 近年では、なかなか種苗会社が薦める新品種を導入しない我が家ではあるが、京成バラ園推薦の品種を栽培し始めた。

 

 「レディ チャペル」である。

 

 去年の年末に定植して、最近ようやく出荷にこぎつけた。

 

 花弁が非常にデリケートではあるが、淡く優しい色合いと、ふんわりコロンとした花型が愛らしい。

 

 棘がほとんどないのも特徴の一つであろう。

 

 栽培面積は極めて少ないが、土耕で栽培している為、水耕のそれより、しっかり開花するだろう。

 

 我が家では、基本的に種苗会社の薦める新品種を、栽培する事はない。

 

 生産者による新品種の奪い合いに辟易しているのもあるし、買い手側の意向を無視して、作り手側のみの趣向で品種選定する程愚かでもないし、私の様に、保守的な臆病者には、新しいものに飛びつく度胸もないからだ。

 

 そんな中、いくつもの事情が混ざり合って、我が家に来た「レディ チャペル」。

 

 淡いピンク色の彼女達が、今後どの様な展開を見せるかが、楽しみである。

 

 タイトルの二文字の意味を、あなたは知っているだろうか?

 

 世の中には、3万種を越えるバラの品種と、多くの言葉がある。

 

 その全てが、めぐり合わせなのである。



2009年8月6日(木)
 この手が求むもの  

 「ムカ男」という言葉をご存知だろうか?

 

 私も新聞の読みかじりなのだが、「ムダにカッコいい男」の事を、女子高生が略称して言うらしい。

 

 本当にそんな言葉が、使用されているのか疑わしいが、それより「ムダにカッコいい」の意味が皆目わからない。

 

 上質で在る事に、上限などなかろう。

 

 逆に最近、私の周りでは「カッコいい」事を無駄と思う輩が増えてきた。

 

 ある程度の歳だから、結婚もして子供も産まれたから、と言って太鼓腹を養っていく。

 

 日本の農産物は、諸外国に比べ異常なほどに品質を求められる。

 

 サービス業もそうであるが、価格の割に要求される値は尋常じゃない。

 

 私が経験した海外のファーストフード店では、基本店員は笑っていない。

 

 「友達か!!」とツッコミたくなるし、スーパーにおいてある野菜や果物も不揃いな物が多く、傷の有る物もある。

 

 お花屋さんも、多少頭突いている(花びらが上からの傷つき)花を普通に使用している。

 

 別に諸外国に比べ、ハードルの高さに嘆いているわけではない。

 

 世界一美味く、外観も美しい米や野菜、果物、花を作るのが、日本の農家の宿命なのだろう。

 

 ブランド品に身を包み、流行の若作りをしていれば、カッコいいのかと言えば、到底思えない

 

 されど70年代に購入した礼服を、いまだに着こなせる腹の出てない、物持ちの良い私の父は、カッコいいと思う。

 

 我が家のバラも「むさバ(無駄に最高級のバラ)」と呼ばれたいものだ。

 

 









2009年7月22日(水)
 おかえり  







 私は日本語が好きである。

 

 普段使われている他愛もない言葉にも、謙虚な気持ちが溢れている。

 

 食事を始める時の「頂きます」は、食物や生産者に対する感謝であるし、「ご馳走様」は苦労して食事を用意してくれた方への謝意であり、その返答で「お粗末様でした」がある。

 

 買い物へ行き、美味しい料理を作っておいて「粗末なものですみません。」と言ってくれるのだ。

 

 腹だけでなく、胸までいっぱいになりそうだ。

 

 略されていても、一つ一つ考えてみれば、味わいのある言葉が多い。

 

 「ごめんなさい=失礼をお許し下さい」「有難う=それはとても有り難い事をして下さった」「もうしわけない=申し開きが出来ません」「ただいま=只今、帰りました」

 

 私も先日、思わず口をついて出てきた言葉がある。

 

 「おかえり」である。

 

 我が家の古株中の古株である「ティネケ」が、新たに花を咲かせた。

 

 「今更ティネケ??」と言われそうなものであるが、それも堀木園芸らしくて良かろう。

 

 純白の高芯剣弁咲きは、やはりティネケの十八番芸なのだなと、溜息が漏れる。

 

 大輪ブームには逆らってしまうが、小振りでも力強く咲く、土耕のティネケをご覧頂きたい。

 

 温室でも、箱詰めでも、何やら好意を寄せる人に、久し振りに会えた様で、嬉しい気持ちになる。

 

 「アンネマリー!」「ベンデラ」「プリンセス オブ ウェールズ」「スペンド ライフタイム」と白バラが多い我が家ではあるが、王道とも覇道とも呼べる「ティネケ」を迎え、婚礼需要に磐石な体制を整えたい。

 

 私の腹が黒い為か、自ずと清楚な色合いを好んでしまう。

 

 そんな事ってあるよねぇ。あるある。

 



2009年7月15日(水)
 いつくしき 一雨ごとに 丈を増す 波打つ稲の 朝の緑よ  

 どちらが「主」でどちらが「副」であるかは、観点によって大いに変わる。

 

 私から見れば、私が「主」であるし、あなたから見れば、私は「副」である。

 

 苔を羽織る大木は、大木だから立派なのか、苔を生やしているから荘厳なのか。

 

 禅問答の様なことであるが、見方を変えれば答えが出ることが多い。

 

 植物の成長環境において、必要なのは光や気温が最も重要に思われているかもしれない。

 

しかし、高品質なバラを育てるには、湿度管理を怠ってはいけない。

 

 湿度が低ければ、からっとしていて、梅雨のこの時期に良さそうに感じるが、湿度95%〜85%位がバラの生育にはとても良い。

 

 95%以上が長時間続けば、病気の発生に繋がるが、70%以下の低湿度では、成長速度が落ちる。

 

 また高湿度と低湿度が極端に交錯しても、発病の原因となる。

 

 バラ屋の方なら経験はあるだろうが、午前中雨が降っていて、午後から晴れたりすると、湿度と気温が急上昇して、夕方の花切りは大忙しである。

 

 爽やかな日本晴れで、温室の中が高温になっても、湿度がなければ、バラは然程咲かない。

 

 「五月晴れ」とは、旧暦の5月である梅雨時期の晴れ間の事を指す。

 

 そういう日の方が、バラが咲き、新芽が健やかに成長する。

 

 第三者に言わせると、私の周りには「いい人」がたくさんいるという。

 

 しかしそれは、私に言わせれば、異論がある。

 

私が人より気が短かったり、毒舌だったりするマイナスの要素を持ち合わせている為に、私と比較して「いい人」に見えるだけである。

 

 私という「塩」がいるから、糖度の低いスイカでも美味しく感じるのだ。

 

 だからもっと私に優しくして!!








2009年7月11日(土)
もしもピアノが弾けたなら 想いの全てを歌にして 君に伝えることだろう 









 タイトルは、西田敏行氏の大ヒット曲の一節である。

 

 私もピアノとは言わず、何か一つでも楽器が演奏できればと、常々思っている。

 

 されど、私は音楽好きとは相反し、幼少から楽器が尽く苦手である。

 

 鍵盤ハーモニカは、延長チューブでやっとこさ弾ける位で、リコーダーに関しては私にとって、剣以外の何物でもなかった。

 

 下手の横好きと言われては、心が痛むので「飛べない鳥」とでも呼んで頂きたいものだ。

 

 思い通りにならないことは、日々の其処此処に溢れている。

 

 私は二十歳そこそこに、食うか食わぬかの極貧生活を強いたことがある為、食べ物に対しての執着が強い。

 

 特に、食べ物を粗末にするのが、大嫌いである。

 

 大した味覚も兼ね備えていないグルメ気取りが、食べ残しをしていると反吐が出る。

 

 どんな良い身なりをしていても、高尚な言葉を吐いても、人間的に信用できない。

 

 元気にたくさん食べる女性の方が美しいし、皿を舐める様に飯を食らう男を尊敬する。

 

 人にどうこう言う前に、自らも気をつけようとしているが、私個人の力ではどうしようも無い場合がある。

 

 大人数で食事や飲みに行った時に、年上の人が気を効かせて多めに頼んでくれたり、予想以上に周りの食が進まず、食べ物を残してしまう時がある。

 

 可能であれば、お持ち帰りにするが、状況に応じて出来ない場合もある。

 

 そんな時に限って、普段から食べ物を粗末にするのが嫌いで「もったいない事をするな」と、口やかましく言っている私の揚げ足を取り、

「堀木、全部食べていいぞ」

と、したり顔で言ってくる者もいる。

 

 できれば「ジャンボ代田」や「ギャル曽根」の様に食べてしまいたいが、所詮は普通の大食漢である私に食べきる事が出来るわけも無く、悔しい思いをする。

 

 私は偽善者であろうか?

 

 いや、偽善者と呼ばれても、身勝手と呼ばれても、外道と言われても、自分の気に入らない事は、否定の道を貫こう。

 

 大空を飛べなくても、荒野を舞うが如く疾走するダチョウの様な男になりたいものだ。

 

 あー・・外道は嫌かな・・。

2009年7月5日(日)
「 Answer  is  nowhere  

 山羊は紙を食べる。

 

 ところが、山羊にとってはインクやのり、化学薬品が使用してある紙を食べる事は、体に良くないらしい。

 

 山羊的にはどう思っているのか?

 

 体に良くないと言われても止められないジャンクフードの様なものか、美味くはないけど食べているのか、ウケねらいなのか。

 

 訊ねてみても、こちらを嘲るかの如く「めぇえ」というばかりだ。

 

 科学が進歩し、情報網が張り巡らされた世の中ですら、解明されていない事がたくさんある。

 

 その一つに、「堀木君、どの品種が売れるの?」と私に問うて来る生産者が、しばしばいる。

 

 腹の中では「こっちが聞きてぇよ!」と思っているが、無下にもできず、私の知っている事を多少お話する。

 

 疑問や好奇心を持ち続ける事は、人生において必要不可欠だと思うが、何故か人は、そこに答えがなさそうであっても、問うてしまう。

 

 それは解答のない疑問から生じるストレスを、緩和させる為ではないだろうか。

 

 「右の服と左の服、どっちがいい?」的な、お互い初めて訪れた場所で「どっちが出口?」的な、居酒屋で愚痴り倒してスッキリ的な。

 

 本気で悩んでいたら、私の様なものに「品種選定」という重要事項を相談してきまい。

 

 頼りになる市場や仲卸さんにでも、聞いた方がいいに決まっている。

 

 されども、答えは無い時もある。

 

 バラを作り続けて40年近く経つ父にすら、栽培の質問をしてみると、たまに「わかんねぇ」と答える時がある。

 

 答えを求める為に、父はバラ作りを続けているのかもしれない。

 

 「答え」を探し求め続けるのが、答えに辿り着く為のベストアンサーなのだろう。

 

 「おい!メェメェ言ってないで答えろよ。本当はしゃべれるんだろう?」と山羊に問いかける私の姿を、他人に見られたら、それこそ異常者だと疑問に思われるだろう。





レディーチャペル


2009年7月1日(水)
「 言葉はいらねぇ  


ベンデラブルー




ワンダーウォール






 この時期、全国の消防団は「ポンプ操法大会」というものに挑む。

 

 消火の際の技術向上や、諸々の道具の使用知識を学び、模擬消火競技に出場する。

 

 連日連夜続く訓練の中で、彼女や女房の機嫌が悪くなり、関係に亀裂が生じるカップルがいるらしい。

 

 消防車の車庫で、むさ苦しい野郎共が、訓練後に熱く、くだらない話をして酒を飲む。

 

 キャバクラや居酒屋で、若い娘にちょっかい出すより怖ろしく健全だと思うが、女心は私の様な下郎が理解出来る訳もなく、繊細なものらしい。

 

 されど、男女の絆を取り持つのが、バラ屋の本懐とばかりに、規格外のバラを集めておいて、新聞紙にクルクルっと巻き、

「奥さん、彼女、一人身の奴はお袋さんに持って行きな。」

と、小粋に配る。

 

 後日、仲間たちから好評だったと、御礼を貰うと、哀れな市況を見るより懐があったまる気になった。

 

 普段バラなど触れた事もない彼らは、然も珍しげに興味を注いでいた。

 

 その内の一人が、どこで耳にしたのか、

「堀木の所は、新品種も作ってるんだよな?新品種って何色?」

と言う。

 

 「何色かあるけど、ミルクティーみたいな色とか?」

 

 「へぇ。それは何色を吸わせるの?」

 

 私は、一瞬理解が出来なかったが、彼の言いたい事を悟り、2つ年嵩の彼に対して敬意を込めて、こう述べた。

 

 「ばかじゃねぇの?!」

 

 世の中にある切花の様々な色は、彼にとっては染物だと思ったらしい。

 

 まさかとは思ったが、取り調べて見ると、仲間の数人が本当にそうだと思っていた様だ。

 

 花の世界に携わる者として、残念至極であるが、逆にまだ手付かずのマーケットが存在するという事が露わになった。

 

 ダラダラ長電話するより、陳腐な言葉の羅列で愛を囁くより、段取り足らずなデートプランを練るより、センスの悪いプレゼントをするより、花を贈りな若人よ。

 

 最近、加速する私のオヤジ化に、迅速な対応が必要である。