音楽や本、信仰の解釈は人それぞれ違っていても良いと、私は思う。
生い立ちや感受性が同じでないのなら、同じ空を見ても同じ色には感じまい。
日本国歌の「君が代」には、多くの人が様々な意見あるだろうが、私は嫌いではない。
若干、暗い感じはするが、「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」という歌詞はかなり好きである。
ただ、私にとって「君」とは天皇やそれら統治側の人間ではない。
私が盾となっても守りたいと思う家族や友人そして大切な人たちを指す。
過日に衆議院総選挙があり、日本の舵が大きく切られる結果となった。
私の様な者が、凡小な見解を述べてもつまらないだろうし、そういうことは各種メディアにおいて専門家の先生からご高説を賜った方が遥かに有意である。
今回の選挙結果を通じて、私が一番着目した点は、投票率70%だったという事だ。
多いという方もいるだろうが、私にしてみれば少なすぎる。
投票権は、我々民草が血税を支払う事で、唯一手に入れるささやかな権利である。
かつてこの国では、国の行き先を憂い、白刃を血に染め戦った先人がいる。
海の向こうでは、未だに国を思い、民を想い、争いが絶えない。
紙一枚で、誰一人死ぬことなく、革命が起せる幸福を30%の人間が無視をしたのだ。
もしくは行政の怠慢で、投票に行けなかった人もいるかもしれない。
そうであれば、彼らは国民としての権利を蹂躙された事になる。
それは、より良い世界を夢見て、血の海に身を投じた人間を侮辱している。
「私が死んでしまっても あなたやあなたの子供たちが 幾星霜も幸せでありますように」私にとって「君が代」の歌詞はそう聞こえる。
政治が変われば、国は変わる。
しかし、我々農民はいつの時代の変わり目でも、日々と変わらず田畑で汗を流している。
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