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2007年12月25日(火)
「 Merry Christmas  


 







 今年もクリスマスを迎え、南信も毎朝氷点下で暖房機も小気味の好いほど唸りを上げる。

 

 寒い時は「首」を暖めると良いらしい。

 

 「首」「手首」「足首」を暖めていれば体温が保たれるらしいが、私はどうもマフラーが苦手だ。

 

 俊敏さを貴重とする私にとっては何やら苦しいし、首が制動されている気がする。

 

 冬場といえど温室の中はお日様があたればぽかぽかと暖かい。ましてや温室の中で疾風怒涛の剪定・定植作業をしていればマフラーどころかTシャツでもいいくらいだ。

 

 我が家も水耕栽培の温室は「ジプシーキュリオーサ」の更新を終え、「スペンド ア ライフタイム」「オレンジジュース!」も定植は完了した。最近では芽がぷっくりと膨らんできた。

 

 土耕栽培の温室も廃棄・剪定・施肥を終え、これからいよいよ「ワンダーウォール」「バイア モーメント」の定植と今年の改植作業も最終局面を迎えた。

 

 新入りの娘たちばかりを可愛がってはいけないが、どうも定植したての娘たちは気になる。

 

 「落ちては無いかな(枯れてしまってはないか)?」「根は張ってきたかな?」などと気になって用も無いのに温室に入ってみる。

 

 早く大きくなって確りした花を咲かせてもらいたいものだ。

 

 そう思うと我々生産者は然も花をゼロから創っている様な事を言っているが、所詮は花が自ら根を伸ばし、芽を吹かせ、葉を繁らせ、蕾を膨らめて花を咲かすのを手伝っているに過ぎない。

 

 形容するなら花がアスリートで我々生産者は監督・コーチのようなものだ。

 

 「どこまで行っても生産者という者は裏方なんだなぁ」と自覚させられる。

 

 仕事では常時裏方なのだからと、私生活で呑みに行けば、ここぞとばかりに大騒ぎして主役並みにしゃべり倒す。

 

 そのおかげで財布には北風が吹き、マフラーもしていないのに首も回らない。

 

 春が待ち遠しい。


2007年12月10日(月)
「 Speed Star  

 日本人というのは始まりより終わりを大事にする傾向にあるのではないかと思う。

 

 誕生日より命日、乾杯より一本締め、新年会より忘年会。

 

 師走も既に中盤に差し掛かり、祖母は漬物をせっせと漬け、祖父は首を長くして干し柿に粉が噴くのを待つ、父と私は怒涛の剪定・定植作業が始まった。

 

 我が家の改植は先ず水を切ることから始まる。次いで青々と茂ったバラの木々を一株ずつ剪定鋏で根元から切り落とす。

 

水耕栽培のロックウールの場合は稲刈り鎌で根を切り取り温室から運び出す。土耕栽培は大地から引き抜いて温室から運び出す。

 

その後、双方温室を綺麗に掃除して水耕であれば培地を敷きなおし、土耕であれば畝を作って共に定植する。

 

土耕であれば定植後、施肥をして藁を敷く。

 

この仕事は多少機械を導入することは出来るだろうが、我が家では完全に人力に頼っている。

 

「大変じゃん!」と侮ることなかれ。卓越した職人の技術というのは、機械などには到底及ばない俊敏さと繊細さを兼ね備えている。

 

私においては父に技術的には及ばないが、元来負けず嫌いの私も総髪振り乱して父に迫る。

 

がしかし、12月となれば忘年会や忘年会や忘年会と松・千両市に負けず大忙しである。

 

ましてや友人からゴルフやスノーボードのお誘いが来ればまたまた作業が遅れてしまう。

 

何故、人は歳末の忙しい時に更に自身に鞭打って予定を入れるのだろうか?

 

Mなのか?

そうしてまた私はウコンを貪り飲み会へ、父は二コレットを噛みタバコを吸う。

 

健康な新年が迎えられますように・・・









2007年12月6日(木)
「 誠  



壬生寺



西本願寺の銀杏

 火・水曜日と私がオランダへ遊学していた時の研修生の同期会があり上洛して来た。

 

同期の皆は全国各地から欧州に向かった為、なかなか帰国後は会うことも出来ず長い人では帰国後の初対面となった。

 

志は皆、帰国後就農であったが、全てはそう上手く行かないらしく農業を生業としていない者もいた。

 

そうであっても、何かしら農業や生産との繋がりを持ち日々邁進しているようであった。

 

プライベートな事、仕事の事、思い出話、欠席した人の近況など話は多いに盛り上がり未明まで酒盛りは続き、うわばみの私もご機嫌で話をしていた。

 

早朝(といっても8時位だが)、朝食の用意が出来たと早起きの友人が私を起こしに来た。

 

私は久し振りの許された寝坊を「もう少し寝かせてくれ」とせがんだ。

 

暫くすると再度友人2人が私の惰眠に渇を入れに来たが、私も再び許しを請うた。

 

厭きれた友人が私を置いて部屋を出る時、「堀木は食べ物を粗末にするようになったな」と呟いた。

 

私は「中途半端に食べるより、全て残した方がいいに決まっている」などと思い、寝続けた。だが今は己がした行いと稚拙な屁理屈につくづく後悔している。

 

オランダにいた頃に食うか食わずの貧乏生活をし、私自身も農家の端くれと普段から偉そうに「食べ物を大切にしろ」と豪語しているにも関わらず、私の食材に対する敬意と食物が私の口に入るまでに携わってくれた人への感謝の念が腐食されてしまったようだ。

 

バラ農家の我が家は祖父母が作ってくれる野菜以外は全て買っている。

 

「金を稼げば飯などいくらでも食える」と言うのは自給率の低いこの国において驕り高ぶり以外の何ものでもない。

 

5年前、帰国して最初めて口にした米の旨さに涙を抑えきれなかったことを忘れないようにしようと、お土産の「新撰組局中御法度書レプリカ」と「三番隊隊長・斎藤一モデル模造日本刀」に誓った。(↑超ウレシィ!)



2007年12月4日(火)
「 土と水と ~水の巻~ 」 

 前回からの続きで話は水耕栽培。

 

 水耕栽培とはコの字の型のレーンの中にロックウールやココピート等を敷き詰め、その培地にバラを定植し、頻繁に化学肥料の混入した溶液を流し、廃液は外に出す。

 

 簡単に言えば、めちゃめちゃ長いプランターに土の代わりになる何かを入れ、水に溶かした肥料をがんがん流し込んでいる。という事である。

 

 前々項に幾つかの専門用語が使われている事、また培地の種類や肥料の配合比率など選択肢が多いことから知識的・技術的にも高度である。という事を推測して頂けるだろう。

 

長所は花弁数が多く花が大きい。長さも良く伸び、本数も沢山切れる。水分を含んでいる培地の表面積が少ないため、湿度管理も容易。ベンチ(棚上げ)で仕立てれば、仕事が全て立ったままで出来る為、作業性が良い。

 

短所は設備投資に莫大な費用がかかる。施肥回数も多いのでランニングコストもかかる。葉が大きくなる。樹の寿命が短い。花保ちが悪い。

 

これもまた大要ではあるが、特質すべき点は丈も長く花の大きい立派なバラが数多く取れるということであろう。

 

上記の様なバラが栽培できれば高収入が期待できる。しかし費用も莫大にかかっているので、安易に水耕栽培だから高利潤とは限らない。

 

また土・水の巻で記した長短所は悪までも我が家での性質である。

 

そして言うまでもないが花の大きさ、長さ、本数、花保ち、開花状態などは土耕・水耕のそれよりも品種の特性に起因される。

 

また同じ品種、同様の栽培方法であっても産地が違えばバラの品質は玄人の目から見れば大きく異なる。

 

土耕・水耕共に長所があるから現在日本各地において両方実用されている。

 

一概にどちらかを善し悪しと言い切ってしまうのは明らかに愚考である。

 

さあ、ここからはあなた自身がお好みの栽培方法を見付けて下さい。

 

そして、その後「土耕はやっぱり締まってるねぇ!」「ここの水耕は配合がいいねぇ!」などと言えば産地に一目置かれるだろう。

 

私も合コンで一目置かれる為にはジブリトークをなるべく控えようと思う。

ロマンチックキュリオーサ       
       
         ジプシーキュリオーサ
            フラジール           
         
       プリンセスオブウェールズ
       
グランス        
        
         アンネマリー!
       
ロジータベンデラ         
         


2007年12月1日(土)
「 土と水と ~土の巻~ 」 

イリオス! 
  イリオス!

           オリエンタルキュリオーサ 
       オリエンタルキュリオーサ
 アブラハムダービー
アブラハムダービー

            ベンデラ
            ベンデラ
イントゥリーグ
 イントゥリーグ

            パパメイアン 
           パパメイアン
ザ・プリンス
  ザ・プリンス

            
          ブライダルピンク

 我が家は車で東京から中央道「松川IC」まで3時間、その後一般道5分の位置にある。

 

 遠方にも関わらず多くのお花屋さんが足を運んでくれる。

 

お越し頂いたお花屋さんからしばしば問われるのは「土耕栽培と水耕栽培の違い」についてである。

 

土耕というのは、バラの木が直接大地に根付いて育っている状態である。

 

仕立て方(樹の育て方)まで話してしまうと複雑で文面では説明し辛いが、要は昔からある普通の栽培方法である。

 

長所はバラ1本がコンパクトで花自体が締まっていて確りしている。花保ちも良く、力強く展開する。樹の寿命も長い。肥料・設備コストも安い。

 

短所は花の頭が小さく、丈が長くならない。水耕と比べ本数が切れない。地面から生えているため作業性が悪く、剪定・定植・廃棄・古枝の処理・草取り等々の作業が中腰、もしくは膝を付いての作業となる。

 

大要を羅列してきたが、やはり特質すべき点は水揚げが良く、花保ちが良い点であろう。

 

一考すれば合点がいく、水と肥料を求め大地に根を大きく張っているのだ。水も土が乾くまでは撒いてもらえない。肥料も毎日の様に根元に与えてくれるわけではないのだ。

 

この「土の巻」において少量培地栽培と溶液土耕は土耕栽培に含めていない。

 

土というものを利用しているだけで土耕栽培とは懸け離れていると私は思うからだ。

 

スタジオジブリの名作「天空の城ラピュタ」の作中でヒロインのシータはこう言っている。

 

「ゴンドアの谷の歌にあるもの。『土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。』どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても土から離れては生きられないのよ。」

 

こういうことを合コンなどで言うと女の子に著しく引かれる。

 

でも、そんな軽蔑の眼差しを向けられるのも「何か・・いいなっ!」とも思う。

 

己の変態を露呈しながらも次回は水耕栽培について。



2007年11月29日(木)
「 Get Up Tiger 」 

 朝の花切りを終え、朝食を済ませ歯磨きをしていると携帯電話が私を呼んだ。

 

 電話をしてきたのは千葉の同世代の花生産者であった。

 

 電話の内容は当日行われる会合のことであるが、会話の路線は暖房費や施設、流通や販売方針についてだが、決して明るい話題ではない所へずれ込んだ。

 

 今のジュニア世代(35歳以下くらい?)はバブル景気の花の高値など経験したことが無い。

 

 当時の花屋さんの物日の売上や、バラの一本単価を聞くと今の我が家のバラの単価が馬鹿馬鹿しくもなる。

 

 どの世代においても思い出話には花が咲くものだが、バブル時代の事など最早我々にとっては戦国絵巻のようなものだ。今更、武勇伝など聞かされても腹の足しにもならない。

 

 彼は「今が普通なんだよ。」と言った。

 

 小一時間くらい電話をしていただろうか、結局明るい話題へ戻す糸口もつかめず。

 

「また今度ゆっくり一杯やりたいね。」という小さな願いで会話を締め括った。

 

 「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな。まだ限界だなんて認めちゃいないさ。(中略)人はつじつまを合わす様に形にはまってく、誰の真似もすんな君は君でいい、生きる為のレシピなんてない、ないさ」

 

 Mr. Childrenの「終わりなき旅」という曲の歌詞だ。

 

 今は出口の無いトンネルの中ではない。頂が見えないほど高い壁の途中なのだ。

 

 お互い50代になったら「そんな時もあったなぁ」などと言いながら、笑って酒を酌み交わしたい。

 

 もちろんその時は金持ちになっているので温泉で芸者付きだ!(←思いつくことが既にオヤジだ・・・)














2007年11月27日(火)
「 じゅんで~す!長作で~~す! 」  













 「お陰様」の「陰」とは神仏など偉大な者の陰の下で、その者の庇護を受ける意味として使われていたのが由来らしい。

 

 先日、中卸さんから「他の生産者のオリエンタルキュリオーサを納品したら、『堀木のオリエンタルキュリオーサじゃないとダメだ』と言われたから水曜日入れておいて。」と電話があった。

 

 こういう嬉しい話を家族にすると母は必ず「お陰、お陰」と言う。

 

 私などは家族の不断の努力が実ったものと、鼻が高くなるのだが、母は頭を下げる。

 

 母は天然だ。

 

 観察眼がある方ならすぐに判別できるであろう。日常茶飯事的に突拍子もないことをやったり、言ったりする。

 

 慣れてない人なら大爆笑だ。私は苛烈に指摘し、父は閉口し首を振る。

 

 長年、天然というものを観察していると一つの仮説に辿り着く、生粋の天然というものは「企み」や「邪心」がない。

 

 一生懸命にやった結果が他人の怒りを買う羽目になっても、最初から他者を愚弄する気など甚だない。そういった思考は出来ないのだ。

 

 だから母は見ているこちらが卑屈になるほど、人にへつらう。

 

 しかし、それが本当の商魂ではないかと気付かされた。

 

 純粋にお客様の満足だけに心を砕く。彼女に利益観念など無いだろう。

 

 「我が家のバラを買ってくれた人が満足して、その結果収入があれば良し」位としか思ってないだろう。

 

 かつて三波春夫氏は「お客様は神様です。」と謳った。

 

 神の為にバラを育て、神の恵みで生活出来る。

 

 正に「お陰様」である。

 

 そんな私の蛇足な深読みなど知りもせず、今日も母は鼻歌まじりに温室へ向かう。

2007年11月26日(月)
「 法連草 」  

「報告・連絡・相談」といえば仕事の基本である。

 

今回は、我が家のバラを取扱って下さる方々へのお知らせです。

 

 12月より順次、剪定・改植に入ります。

品 種 名

処  理

期  間

アブラハムダービー

剪定休眠

12月中旬~3月上旬

アンネマリー!

継続

 

イリオス!

剪定休眠

12月中旬~3月上旬

イントゥリーグ

剪定休眠

12月中旬~3月上旬

オリエンタルキュリオーサ

継続

 

グランス

継続

 

ザ・プリンス

剪定休眠

12月中旬~3月上旬

サンライト

終了

12月上旬まで

ジプシーキュリオーサ

改植

12月中旬~6月下旬

ティネケ

継続

 

パパメイアン

剪定休眠

12月中旬~3月上旬

ブライダルピンク

継続

 

フラジール

剪定休眠

12月中旬~3月上旬

プリンセスオブウェールズ

剪定休眠

12月中旬~3月上旬

ベンデラ

継続

 

ロイヤルハイネス

終了

12月上旬まで

ロジータベンデラ

継続

 

ローテローゼ

継続

 

ロマンティックキュリオーサ

剪定休眠

12月中旬~3月上旬

 

 出荷も半分、収入も半分。3月にはガリガリです。








2007年11月22日(木)
「 天才と凡人 」  


アブラハムダービー










スペンド ア ライフタイム

 「イングリッシュローズ」というバラをご存知だろうか?

 

 愚問だとお怒りになられれば、恐縮である。

 

花業界の人間であればもちろん、少しでもバラが好きな一般の方まで「イングリッシュローズ」という言葉を知らない方はいないだろう。

 

釈迦に説法とも思われるが、イングリッシュローズはイギリスのデビット・オースチン氏の育種されたバラのことを指す。

 

我が家でも彼が世の中に生み出した銘花が2種類ある。「アブラハムダービー」と「ザ・プリンス」だ。

 

毎日見ているバラ達だが、たまに咲いたところを見ると気品漂う色と咲き方と心奪われる芳香に改めて彼の偉業と天才ぶりに頭が下がる。

 

かつてエジソンは「天才とは99%の努力と1%の閃きだ。」と曰ったらしいが、自分の人生を100%と仕事に費やしてようやく上記の算式となる。

 

無論、何かを生み出すということは一朝一夕では出来ぬ事ばかりであり、天才と呼ばれる人がそこまで努力して生み出しているのだ、ましてや私の様な凡小な人間に彼らの様な偉業は達成できないであろう。

 

と言う訳で天才が生み出したものの様に世界中の人に愛されなくてもいいので、極数人に愛されるバラが作れれば私としては儲け物だ。

 

そんな中、我が家のオリジナル品種第4弾「スペンド ア ライフタイム」。

 

「何をするにしても君と人生を費やしたい」と言っているのは「Jamiroquai」。

 

あま~~い!

 

って、もう古い!?



2007年11月18日(日)
「 遠方に到りて故郷の山雲を想う(後編) 」  

 大会2日目。朝食をビールで押し流すと早速ホテルを出て産地見学へ。

 

 私が訪れたのは破竹の勢いで業界に名を轟かす「ファインローズ」だ。

 

 整った設備と手入れの行き届いた圃場。床には枯葉一枚落ちておらず、何名ものパートさんが笑顔で迎え入れてくれた。

 

 やはり雪は降らないが寒い山国信州と違い、施設は夏場の暑さ対策のものが多かった。

 

 夏場の野温が20℃を下回らないということと、どの家にもエアコンの室外機が付いている所を見ると「夏場は相当暑いのだろうな」と想った。

 

 そして何と言っても「ファインローズ」と言えば珍しい品種とその種類の多さだ。

 

 圃場の中には未だ発表されていない品種はおろか、名前が決まっていないナンバー品種も数多く植えられており、お花屋さんが見ればよだれを垂らして喜びそうである。

 

 昨日に続いて肝を抜かれっぱなしの私は軽い心労を感じ温室の外へでる。

 

 空を見るとどこにもアルプスはなく、雲の形さえ信州とは違って見えた。

 

 長野ではどこへ行っても山があるから方向を見失わない。

 

しかし佐賀では右も左もわからなくなるぐらい新技術や手の行き届いた圃場を目の当たりにすると、私は急に長野に帰りたくなった。

 

そして、またどの生産者にも負けないように仕事をしようと思った。

 

その手始めとして明日は休肝しよう。

 

最後に日バラ佐賀支部の皆様、大会執行部、協会役員、そして会の開催にあたり様々な協力をして下さった方々のご尽力に感謝を申し上げます。




長野県





2007年11月17日(土)
「 遠方に到りて故郷の山雲を想う(前編) 」  


佐賀県







お土産の牡蠣にハート型が!

 去る111617日(金・土)に日本バラ切花協会の全国大会が開催された。

 

 全国の切りバラ生産者が年に一度、一同に会し新技術の講義を受けたり、バラの新品種や新資材等の展示をみたり、開催地のバラ屋見学を行う。

 

 今年は九州、佐賀県で執り行われた。

 

 私にとっては九州初上陸で信州から見れば南国のイメージしかないが、兎にも角にも中央道を自動車で2時間、セントレア空港から1時間半、福岡空港からバスに揺られ1時間。

 

 開催地の佐賀県嬉野市に到着した時の最初の感想は「尻がごわごわする」である。

 

 受付を済ませ会場をブラブラ、知り合いとペチャクチャ。そうこうしているうちに大会が始まり、開催式、引き続き講演と私の尾骶骨はよもや尻の肉を貫き直に椅子につくのではないかと心配になった。

 

 尻も散々痛んだが、それ以上に舌を巻いたのは講演の内容であった。

「発光ダイオードを使ったバラの栽培」

「ヒートポンプ(エアコン)を利用した温室の温度・湿度管理」

 

 私が信州の山の中でヘラヘラしているうちに、バラ生産は農業から工業へ転進を遂げるのではないかと想うほど生産技術は躍進している。

 

 感服した。

 

 私の度肝は抜かれたまま会は滞り無く進行され懇親会へ。

 

 真剣にバラの将来の話をする人、バラ技術の情報交換をする人、取引先や市場の方と話す人、ひたすらコンパニオンにセクハラする人。

 

皆様々だが心に残ったのは神奈川の添田さんの〆の第一声だ。

 

 「皆さん、元気になりましたか?」

 

 会場のバラ屋は大小、南北、貧富さまざまだが、誰しも悩みを抱え日々暗中模索している。

 

 こういう機会に仲間同士相談し、ヒントを得、飲み、笑っては明日への英気を養うことが最も大事なことだと私は感じる。

 

 懇親会が終わると気の合うもの同士嬉野の闇とネオンの中へ、まだ大会は終わらない。



2007年11月16日(金)
「 田 力 」  

 先日、所用で昼休みに買い物に行った。

 

 店内で色々と物色していると、店員の女性に好奇な目で見られていることに気づく。

 

 不審に思ったが、自らを省みてみると汚い。いや、汚いというか小汚い。

 

 寝癖を縛っただけの髪、バラの棘でほつれてボロボロのジャージ、埃まみれの作業ズボン、穴が開いた元白い黒い靴、20代とは思えない雑巾のような手、店内だというのに腰には剪定鋏。

 

 農家は朝起きて仕事を始めてから、仕事を終えるまで家族以外の誰とも会わない日はよくある。

 

 別に自分が気にならなければ、どんな格好をしていても全く構わない。

 

 逆に言えば、アルマーニのスーツを着ていても問題ないが作業性は悪い。ネクタイでは汗は拭えない。

 

 「ゴトギ」という言葉をご存知だろうか?

 

 「ゴトギ」とは「仕事着」の事である。作業性にかけるか、お洒落にかけるか、人からの印象を良くするのにかけるか、力の掛けどころは様々であるが、働く男というのは「ゴトギ」が一番カッコ良くなければいけない。

 

 「カッコいい」というのは、男にとっては老若関係なく最高の褒め言葉である。

 

 その点で行くとバラ屋のオヤジはいつ何時でもカッコいい。

 

棘に育まれた無骨な手、太陽光に焼かれた琥珀色の目と褐色の肌、正に鎧だ。

 多少の鼻毛などポケットチーフみたいなものだ。

 

 群馬の田村さんはいつ見ても迷彩服だ。高品質なバラとバリエーション豊かな迷彩服。ITヒルズ族のブランドスーツなど霞んで見える。

 

 とはいえ、若輩者の私はちょっと恥ずかしいのでせめて髭を剃り、新しい靴を買ってもらおう。












2007年11月14日(水)
「 コマーシャル ~ザ・プリンス編~ 」  


 こんなに全力で走ったのは何時以来だろうか?

帰宅ラッシュで賑わう駅の改札を長身の将博は泳ぐように人波をかき分ける。

 

急遽、下請け会社のミスで納品先に直接謝罪、納品に行くことになり、彼にとっては今までの会社の付き合い飲み会で一番大切な会に猛烈に遅刻している。

 

同僚や後輩からメールが怒涛に携帯電話を叫喚させる。

 

今日は彼が兄の様に慕う上司の定年退職の日だった。

一回り以上歳の離れた上司は入社当初から将博を良く可愛がってくれた。
二人とも仕事と酒が好きで、馬が合い熱く仕事に取り組んでは、いつも呑みに行った。

 

 「ありがとうございました」

 店員への返事もそこそこに。花束を大事に抱え、走る事ができなくなった将博は腕時計を見ながら、大股で居酒屋へ向かう。

 

 見慣れた暖簾を潜ると、いつも二人が座る奥の座敷に人集りが見える。

上座には白髪交じりの髪で年の割にはがっしりしているが、小男の橋場課長が見える。

 

 部下の女性に隠しながら花束を渡し、課長の下へ。橋場課長は将博を見つけ嬉しそうに

「どちら様ですか?

と憎まれ口を叩く。将博も負けじと

「お早いですね。お仕事はされているんですか?」

と言い返す。二人のいつもの様子を見て場が和む。

 

 一人の部下が将博に乾杯の音頭をとらせる。
グラスを手に将博が立ち上がる。天井に頭が着きそうだ。

課の皆が見上げる中、将博は電車の中で考えてきた思い出話を、いつものように皮肉まじりに挨拶に代えてやろうと橋場課長を見詰めた瞬間。

 

 グラスの中に何か入った。

 

不思議に思い目線を更に落とすとぼたぼたと水滴がテーブルや腕に垂れる。

(涙だ・・)と気がついた後も、何度拭けども溢れる水滴は止め処なく、思っていることは何一つ声にならず、中年の将博がグラスを持って立ったまま子供の様に泣きじゃくった。

 

 立ち竦み泣く将博を見て、あちこちから鼻をすする音が聞こえる。目を真っ赤にした女子社員が近寄り将博に先程の花束を渡す。

 

 涙を腕で擦りながら、せめて一言はと課長の顔を見ず、頭を下げて

「お世話になりました」

と力強くしかし揺れた声で将博は言った。本当はもっと感謝を伝えたかった。
「これからは奥さんを大事にしないと熟年離婚ですよ!」と憎まれ口も言いたかったが、それが精一杯だった。

 

 橋場課長は花束を受け取ると言った。

「バラの花かぁ、女房が喜ぶよ。ありがとう、みんなありがとう。」

 

 こういう人だった。言いたい事を全てぶつけても、言えなくても全部受け止めてくれた。この人が好きで仕事が頑張れた。この人の下で働きたかった。

 そう将博は思いながら、思い出の多さの分だけ涙が溢れた。

 

 「また飲もうな。後輩を大事にしろよ。」

そう言って課長は人込みの中へ消えて行った。

 

将博は彼の背を睨む様に見つめながら「今度は自分がこの人の様になる番だ。」と自身に誓った。

 

 ありふれた毎日を特別な一日に

 

 お世話になったあの人に 思い出薫るザ・プリンスを

                                Product by堀木園芸 


2007年11月10日(土)
「 Love Call 」  












 明日の出荷に向けて選花(長さ毎に花を並べ、10本ずつ縛る作業)をしていると一本の電話が入った。

 

「すみません。ちょっとお伺いしたいのですけど・・・」

女性の声だった。少し怯えた様子で私はセールスか何かと思ったが、違った。

 

「私、花時間を見まして堀木さんのところの『フラジール』に一目惚れしまして、苗の販売などはなさってないでしょうか?」

 

 びっくりした。

 

 今まで、切花を買いたい。とか、温室を見学したい。という一般の方は何名かいたが、苗を買いたいという方はいなかった。

 

 我が家には苗というものはない。あるとすれば株であり、それは切花生産をする為に半年以上も養成し、その後何年も花を切らせてもらう大事なパートナーである。

 

「一目惚れ」という言葉に心が揺らいだが、私は他のご依頼同様、丁重にお断りした。

 

 しかし、私は嬉しかった。

 

 電話を切った後、直ぐに家族にその話をした。

 

「フラジール」は我が家の第一号オリジナル品種で初めは一抹の不安もあった。でも、それがお花屋さんにも認められ、花時間に掲載されるだけでも嬉しいことなのに、読者の方から電話を頂けるとは歓喜の極みだ。

 

 母に至っては「あげればいいのに!」などと無茶なことを言い出す次第だ。(無理です!!)

 

 生産者はクレームの電話が市場から掛かってきても、消費者の方から直接賛辞を頂くことなど滅多に無い。

 

 だから、たまに今日の様なことがあると、とても嬉しく自分の仕事に誇りすら感じる。

 

 お電話頂いた方には苗をお譲りできなかったが、彼の人のおかげで明日も明後日も私は早朝の仕事に目覚める事ができる。



2007年11月8日(木)
「 がしんしょうたんのオマケ 」  

 前々回の「臥薪嘗胆」の巻でたくさんのバラの試験をしていると記した。

 

 咲く時期は基本的にはバラバラなのだが、稀に揃うときがある。

 上の写真。 
 左下のバラは「ワンダーウォール」
 右端のオレンジは「オレンジジュース!」
 あとは「No name」

 「ワンダーウォール」と「オレンジジュース!」は'08年7月から出荷予定です。

 真ん中の写真。
 中程の赤いバラは「キララ!」
 右のスプレーバラは「クリームグラシア」
 中央下のクリームは「No name」
 左下のフリルのバラも「No name」

 これらのバラは市場からの注文品の箱の中にそっと忍ばせておくことが多い。

 最初のうちは我が家で開花の様子や花保ちを見るが何本も切れれば、どんどんサービスで配布する。

 感想が返ってくる時やそうでない時と様々だが、箱を開けてくれたお花屋さんが、
 「何これ?かわいいじゃん!」
 店先で飾られたバラをお客さんが見て
 「珍しいね。」
と、喜んでもらえるかなぁ。と妄想しているだけでも結構楽しい。

 注文品だけに入れる理由は、市場のセリ人は鼻が良く、目敏く見つけて獲られてしまうからだ。

 生産者の皆さん気をつけましょう!お花屋さんへのサービスはちょいちょい市場でパスカットされていることが多いのです。

 私もそうだった。

 えっ!?我が家のサービスを見たこと無い?

 注文下さい!!










2007年11月5日(月)
「 茨道 掻き分け集む しょうびの香 」  


   オリエンタルキュリオーサの切り前。





     たくさん切れてるよっ!

 日本では148秒に一組が離婚するという。

 

 離婚した夫婦の離婚理由は様々であろうが、バラ屋の夫婦は皆、一度は「切り前」で言い争うのではないだろうか?

 

 「切り前」とはご周知の通り、出荷をする為に花を切る際の咲き加減。まぁバラ切りのタイミングというわけだ。

 

 「切り前」というのは農家によって異なるが、我が家ではできうる限り「緩切り」、つまり樹で咲いた状態で採花する。

 

 一説によると花保ちというのは、バラの枝に残っている糖の量によって決まるらしい。

ということは、蕾だろうが満開だろうが切りバラの生存期間は一緒ということになる。

 

 バラは咲きながら花びらを成長させる。採花が遅ければ遅いほど花は大きくなる。

 

 しかしながら、緩切りのバラは3つの大きなリスクを背負うこととなる。

 

一つは、病虫害だ。温室の中にいる期間が長ければ当然、病気や虫の被害にあう確率は高くなる。

 

また一つは、輸送中の事故。咲いているという事は花びらが広がっているのだから箱等で擦れて花傷みの原因となる。

 

そして最後は「咲いているバラは持たない」というイメージだ。

 

「じゃあ、固切りだね。」となるだろうが、そのリスクを吹き飛ばすほど樹咲きのバラは綺麗だ。

 

以前、某ケイフローリストの栗原さんは我が家で切れた樹咲きで満開のノブレスを持って嬉しそうに市場内を徘徊していた。

 

オヤジをもときめかせるバラ。

 

堀木園芸永遠の目標だ。


2007年11月3日(土)
「 臥薪嘗胆 」  

 品種選定をするということは大変困難である。

 

 以前にも記したように農家側の「勘」や「センス」というものを私は全く信じていない。というよりも自信がない。

 

 概ねは、お得意先のお花屋さんか、中卸しの方に「このバラ欲しいんだけどなかなか手に入りづらいんだよねぇ」というのを聞いてくる。

 

 その後は市場の担当者に相談して要・不要を判断してもらう。

 

 もちろん消費・流通側の意見だけではない、種苗会社に生育上の性格や癖を教えてもらう。そんな中で「いけそうかな?」と思う品種は、我が家では暫く観察する。

 

 その手段の一つ「高芽接ぎ」である。

 

 現在、植えられているバラの途中に違うバラの芽を移植するわけだ。そうすると1ヶ月程度で活着する。その後、そこから移植したバラがニョキニョキ生長する。

 

 我が家では高芽接ぎベッドがあり、今は20品種弱のバラたちが一枝ずつ植えられている。

 

 もちろん落選品種も多い、試作中に国内生産が増えてしまったもの、営利栽培上の問題(数が切れない、丈が伸びない等)があるものなどだ。

 

長いものでは既に5年くらい試作ベッドにいるものもいる。早く卒業してもらいたい・・・。

 

我が家のブライダルピンクは土耕で栽培している為もあるが、もう既に定植してから11年間も切れている。ロングランだ!

 

売れない品種であれば2、3年で止めなければならない。

 

自らが選んだ品種が経営を圧迫し、その結果として引き抜いて捨てなければならない。バラにはとても申し訳ないと思う。

 

流行り廃りの激しい世の中にあって、安定を望むのは難しい事ではあるだろうが、せめて改植の時に「ごめんな。」ではなく「長い間、ありがとな。」と言って抜いてあげたいと思う。

 


*種苗法により登録品種の無断増殖・販売は禁じられています。損害賠償等の請求があるからよい子はまねすんなよっ!












2007年11月1日(木)
「 Hanging by a moment 」  



バイアモーメント





バイア モーメント
 私はRock’n Rollが大好きである。

 

 基本的には音楽は全般好きだ。昔から洋楽ばかりしか聴かなかったが、最近では歌謡曲や演歌もいいなと思う。

 

 でも、それとRock’n Roll好きとは少し違う。Rock’n Rollとは音楽のジャンルの一つである「ロック」とは別次元で一つの思想や生き方なのではないかと私は思っている。そして・・・(割愛)

 

 Rock’n Rollと新撰組の話をすると一晩中話してしまうので、この辺りで止めておく。

 

 そこで、「バラとRock’n Rollとどういう関係があるのか?」と人は私に問うだろう。

 

 ない!

 

 それが答えだ。どう繋いだとしても、それはこじ付けでしかない。

 

 しかし、あえて言うならバラには高芯剣弁咲き、ロゼット咲き、カップ咲きなど様々な形状とカラーチャートでも表せないような豊満な色の種類で視覚を楽しませ、香水の原料に成る位の気品溢れる香りを持ち嗅覚を楽しませ、高貴さを現すようなその棘としなやかでしっとりとした花びらは触覚を楽しませる。

 

 家族の総意で「味覚はいらない。」となったので、残るは聴覚だ。

 

 そこでロックがやって来るというわけだ(なんたるこじ付け!)!!

 

 今までも「人名」や「単語」のような花名は数多くある。しかし私は花名にメロディーを持たせたいのだ。

 

 アメリカのロックバンド「Life house」アコースティックギターの切なく優しい調べとハスキーボイスの力強く甘い歌声。ロックバラードとは正に彼らの為の言葉だろう。

 

 彼らの名曲「Hanging by a moment」の「君とその時を待つ」というリリックは初中年の私の胸をも「キュン」とさせる。

 「そんな甘ったるいこと言えるかよっ!」と仰る方は、我が家の「バイア モーメント」をお買い求め下さい。