堀木園芸のバラ 本文へジャンプ

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2010年8月22日(日)

「 福沢諭吉と幸福論は似てる 


 私は、普段からとてもネガティブなので、多少の嫌な事は「それが当然」と思ってしまうので、意に返さない。

 

 逆に少しでもいい事があれば、ちょっとの事でも喜べてしまうから、不条理な事が多い世の中にあっては、ネガティブな人間の方が住みやすいと思う。

 

 それであっても、あまりにも嫌な事が続くと滅入ってしまう。

 

 「弱り目に祟り目」とは良く言ったもので、たまに嫌な事は畳み掛けるように訪れる事がある。

 

 先日、困った事が起きてしまった。

 

 夏の時期は、病気が発生しやすい為、クレームが多いものだが、納品したバラが品種の境を越えて150本返品で返ってきた。

 

 数時間後には、また1ケース。

 

 翌日にはまた1ケース。

 

 それも全て「傷」によるクレームで、50本入りのバラが尽(ことごと)く傷ついているとの事だ。

 

 私が就農して5年経つが、未だかつてこんなクレームは受けた事がなかった。

 

 もちろん激安価格で推移する市況を見れば、多少なりとも士気は下がるが、そんなことでネガ男の私が手抜きをする様な事はない。

 

 よく出荷当時の状況を思い出してみたら、返品されたバラが同じPPバンドで括られている事に気が付いた。

 

 どうも運送上の理由だと思い、事情を説明して、委託している運送会社に問い合わせてみた。

 

 というか物凄い喧嘩腰で、営業所に乗り込んだ。

 

 ところが、運送会社の営業の方が、平身低頭で私の話を聞いた後、非を認め、今後の改善策までをとても丁寧に打ち出してきたので、私の鼻息は空回りに終わった。

 

 どうやらその日に限って、荷が少なかった為に、荷台がガラガラで箱が動いてしまったかもしれない。との事であった。

 

 折角、我が家のバラを一度購入した頂いたお花屋さん、事故処理に当たってくれた市場の方には、信頼を失墜させてしまい本当に申し訳なかったと思う。

 

 しかし、今回の事で、多少慢心していたかもしれない商品への携わり方を、もう一度改めていきたいと思った。

 

 クレームを伝えてくれた方々のお陰で、堀木園芸はより良い生産者になれるだろう。

 

 体調を崩しすぎて病院に行く事になっても「入院すれば、クーラーの聞いた部屋で思う存分本が読める。」と思い、ただの胃痛で薬をもらい、症状が楽になると「これで今夜も酒が飲める」と思ってしまう。

 

 世の中はなんて幸せなんだろう!

 

 いや、私が「おめでたい」だけであろうか?


ベンデラ



アンネマリー!







プリンセスオブウェールズ



2010年8月17日(火)

「 君がいたから 








ワンダーウォール



オレンジジュース!

 私もいい歳になってきて、ジャンルで言うと「大人」と呼ばれる所に分類される。

 

 高校1年から毎週せっせとバイトをして、親に小遣いなど貰った事がなかった私は「自立」や「独立」を少年時代から意識していた。

 

 誰にも迷惑をかけなければ、自分の好き勝手生きていいと思っていた。

 

 ところが、歳を取れば取るほど、全ての人や物に支えられて「生かされている」事に否が応にも気付かされてしまう。

 

 仕事だけをして金を稼いで、税金を納めていれば、偉そうに街を闊歩(かっぽ)出来るかと思えば、大違いである。

 

 公共福祉の為に、街を掃除してくれたり、ボランティアで里山を整地してくれることで、自然災害を回避し、綺麗な水が手に入ったりと、目に見えないところで、肌で感じないところで、他人様のお世話にならずには、到底私は生きていけない。

 

 実の所をいうと、堀木園芸はかなり大ピンチを迎えている。

 

 それというのも採花したバラを出荷までストックしておく冷蔵庫が壊れてしまった。

 

 霜取りサーモがまったく効かず、数時間でヒートポンプが結氷してしまい、温度が全く下がらない。

 

 我家は採花直後に3℃の冷蔵庫に入れて、植物の細胞にダメージを与える事のない限界の温度で活動を休止させる。

 

 選花を終え、出荷前日に9℃の冷蔵庫に入れて、常温との温度差を緩和するようにしているが、この冷蔵庫が壊れてしまった。

 

 低温の冷蔵庫の方が大型の為、冷蔵保存するには問題ないが、通常は2つ使っているものが、1つになってしまうと、とても都合が悪い。

 

 しかも折悪しく、世の中は「盆休み」・・・・。

 

 連休明けに部品を早急に取り寄せても、数日は不便である。

 

 盆中の需要下降期に合わせて、生産の谷間を作っておいて本当に良かった。

 

 人様だけでなく、冷蔵庫さま、結束機さま、温室さま、車さま、皆々様に支えられて私は仕事をさせて頂いているし、生かされている。

 

 感謝感謝の気持ちを忘れてはいけないと謙虚な気持ちになるが、裏を返せば私も誰かを支えている事になる。

 

 となれば引き分けなので、今まで通り横柄な私でいようとも思う。



2010年8月15日(日)

「 想いはチカラ 


 もう9年も昔のことになるが、オランダに留学する前に「地元や家族の写真を持っていくと、向こうで話のネタになるよ。」と先輩に言われた。

 

 普段はもっぱら写真嫌いの私であるが、こういうこともないと友達の写真や家族の写真、生まれ育った地元の風景を撮ることはないので、しきりにシャッターを切った思い出がある。

 

 オランダに行き、ホストファミリーや同僚に見せると、オランダにはない信州の山々や澄んだ川が日本の好感度を上げた。

 

 しかし、それ以上に彼らの目に留まったのは、写る人、写る人誰もが「Vサイン」をしていることだ。

 

 「日本人は必ず『Vサイン』をしている。」それ以降、私の思い出写真は、オランダ人も日本流に「Vサイン」をしている。

 

 写真嫌いは未だに治らず、集合写真でもない限り、自分がフィルムに納まるのは、いささか恥ずかしい。

 

 それでも私は昔以上に何かの際には、必ず人差し指と中指を立てる。

 

 友達と会った時や知人とすれ違う時でも、別れ際にも。

 

 ちょっと見は、ただ格好をつけている様に見えるかもしれない。

 

 中国も韓国も日本も区別のつかないアングロサクソンに、当時私は良く嘘をついた。

 

 「日本人は、犬を食べるんだろ?」と小バカにされた時も、「食べねぇよ!クリスマスの時だけだ!」と言ってみて、物凄く嫌な顔をされた。

 

 「日本人は写真の時には『Vサイン』だろ?」とからかわれた時にも、「違う。これは『Peace(ピース)サイン』だ。昔戦争を起こした日本は、今は平和をいつも願っている。」と言うと、彼らは急に優しく感嘆を漏らした。

 

 当時は大ウソであったが、今はちょっと本気で「ピースサイン」を出している。

 

 周りの人々が平和であるように、悲しいことがない様に。

 

 終戦が65年経ち、当時の記憶は液晶画面から申し訳程度に流れるのみになった。

 

 それでも今日も山あいの中で、私はピースサインを出していきたい。



2010年8月8日(日)

「 Sharpens  you  up 


 退化と進化は価値観によって変わる。

 

 二足歩行で大地にしっかり立てる人間には、「しっぽ」は必要ないが、もし現代人に尻尾がついていて、手先ほど器用に使えれば、それはそれで便利なような気がする。

 

 進化してしまった人類には、最早「翼」も「エラ呼吸」も残っていないが、飛行機も酸素ボンベも開発できた。

 

 それも一つの進化な様な気がする。

 

 生まれてこの方、あまり他の業種に携わっていない私であるので、あまりにも無知なのだが、農業ほど進化を続ける産業があるのであろうか?

 

 我家の様な、小規模生産者でさえも、毎年数十万〜数百万の投資をして、生産技術の向上を図っている。

 

 ここ何年で導入した新技術といえば「ヒートポンプ(エアコン)」であるが、そんなものは10年も前であれば、我家のような小さな温室への導入は考え及ばなかったであろう。

 

 そして今年、「炭酸ガス発生装置」なるものも導入してしまった。

 

 高純度の二酸化炭素を発生させ、植物の光合成を促進させるものであり、イチゴ栽培などでは40%の増収があるというのだ。

 

 私があまりにも、本数が切れない品種ばかりを作付けするせいなのだろうか、父の逆襲とも取れる機械の導入に一抹の不安を抱えている。

 

 一つは、この温室効果ガス削減の風潮の中、わざわざ二酸化炭素を作るのか・・・という事と。

 

 もう一つは、40%も出荷が増えて、今の人手でやっていけるのか・・・・という事だ。

 

 より良い製品を安定して需要者に届けるのは、生産者の責務であるが、生産者の驕(おご)りならなければと思う所もある。

 

 向上する農業技術は日進月歩である。

 

 高々5年前と比べても、量・質ともに農産物は進化しているが、その弛(たゆ)まぬ努力は、「消費」の現場に反映されるのであろうか?

 

 「へー、こんなに品質のいいバラが、こんなにたくさん! でもやっぱりいいお値段ね。おほほほほ・・・」なんてことになっては、進化なのか退化なのか区別がつかない。

 

 現代人はアゴが小さくなってきている為、次第に「親知らず」も退化してきて生えないらしい。

 

 しっかり4本生えた古代人の私は、綺麗さっぱり全て抜いて今は小顔である。

 

 これって整形?





グランス


2010年8月5日(木)

「 世界一幸せな結婚式 











 少し昔の話。

 田舎の青年が、実家から少し離れた所へ開拓団の一員として働きに出ることにした。

 開拓した土地は自分のものになるので、農家の末っ子である彼にとっては将来の基盤ができる話だった。

 しかし、行ってみると周りは何もない荒野で開拓はとても大変だった。

 それでも真面目に働き、一緒に開拓団に来ていたある一家の娘をお嫁さんに貰うことになった。

 周辺に神社もなく、結婚式ができない弟を憂いて、実家の兄はお祝いに弟の家の隣に大きな納屋を建ててやり、そこで挙式することにした。

 青年の兄は材木を買い集め、トラックを借りて弟の住む町に行こうとしたが、肝心のガソリンがない。

 仕方なく、彼の所属する消防団の町中の車庫へ行き、僅かずつガソリンを盗んだ。

 それでも弟の住む家までは到底ガソリンが足りないので、友人に頼んで夜通しかけてトラックを押した。

 エンジンをかけるのは上り坂だけ。

 苦労して納屋をこしらえ、いよいよ式当日になると、深夜から降り続いた大雪で、あたりは銀世界になっていた。

 式の最中も吹雪は続き、式が始まってそれ程経たないうちに、納屋の大きな扉が大雪で内側に倒れ込んできた。

 貧しいながらも一張羅を羽織った開拓団の仲間が、式が滞りなく終わるまで、必死に扉を支えてくれていた。

 ご馳走もお酒も微々たるもので、ましてや花など飾ってはなかっただろうが、私はこの話を聞いた時に、なんて幸せな結婚式だろうと思った。

 
 物もお金もない時代だが、間違いなく「真心」はそこに存在した。

 私の祖父と祖父の弟は、今でもとても仲がいい。

 とても尊敬できるし、誇りに思う。

 今は、物品に困る時代ではないが、変わらず真心だけは届けたいと思う。




2010年7月24日(土)

「 会えない時間が、愛育てるのさ 


 この所、地元の活動と大量のバラ、PCの調子が非常に悪かったので、サボっていた。

 

 ここまで書いていないと、もう誰も我が家のブログなど足を踏み入れてくれないかと、半ば自暴自棄になっていた。

 

 ところが、数人ではあるが、「ブログや「News」のページの更新してください。」などと言ってくれる奇特な方がいてくれた。

 

 人々のご期待に応えなくては「百姓・堀木」の名折れであるので、また心機一転頑張って更新していくので、お暇な方も、そうではない方も花業界の一服の気付け薬としてお楽しみ頂きたい。

 

 ここまで、お休みしてしまったので、気分的には「Season 2」が始まるといった感じであろうか?

 

 正直「バラ」「農業」の2本軸でやってくのも、いささか限界を感じていたので、まぁ好都合でもある。

 

 今後、皆様におかれましては、私へ対する一挙手一投足がブログのネタになってしまうかもしれませんので、充分お気をつけの程を。

 

 もちろん私のブログ内において、辛口であっても誹謗中傷いたしませんし、「Season 2」になっても

繊細なバラの花弁の様にデリケートな私は「コメント欄」も設けませんので、ご承知下さい。

 

 実は、時間はないが、書きたい事もたくさんあるので、今後はガンガン更新していこうかな?

 

 HP自体も少しリニューアルしてみたいと思います!

 

 それでは「Season 2」をお楽しみ下さい。

スィンティロマ

エヴァーロング

ジプシーキュリオーサグリーン



2010年6月14日(月)

「 I’m Loser, Baby 






アブラハムダービー&ザ・プリンス

スペンド ア ライフタイム


 私は幼少期に犬に咬まれて、3針ほど縫った事があるが、今も無類の犬好きである。

 

 体全身で感情を表現する様や哀愁漂う姿、物思う凛とした姿、忠実で愛想の良い所は、他の動物では分かち合えない信頼感にも似た相互関係を感じる。

 

 元々は野生だったものが、1万2千年前には家畜化されているという。

 

 家畜や人、農地や家の警備、荷の運搬、暖房、食料、愛玩用と人類の繁栄に多いに勤めてきたにも関わらず、「犬」を使った慣用句にはあまり良い意味はない。

 

 「犬死」「かませ犬」「政府の犬」などだ。

 

 花業界ではしばしば「品評会」というものが行われる。

 

 出展者の範囲や規模は様々であるが、各生産者自慢の生産物を一堂に集め、その品質を業界関係者が審査するのだ。

 

 私もたまに勉強させて頂く為、品評会会場に足を踏み入れる。

 

 工場のプレス機で寸分の狂いなく押し出された工業製品の様な、細部に到るまで行き届いたバラを見ると、なんとも圧巻である。

 

 審査員に知己の方がいたので、審査要領を伺ってみると、一束のバラの作りが均一である事、花冠が大きい事、花と葉のバランスがいい事、茎が真っ直ぐで葉の色が美しい事らしい。

 

 「なるほどぉ、確かに」と唸(うな)りを上げるが、私自身はあまり品評会に興味がない。

 

 品評会自体や優秀賞などの受賞者を愚弄(ぐろう)する気は微塵もないが、私としては「最高に優れたバラ」が切れたなら、市場に出荷したいのだ。

 

 お偉いさんの名前が付いた賞を頂く事は、大変名誉な事なのだろうけど、「あっ!そいつはどーも。」程度で、然程嬉しくもない。

 

 それよりも細心の注意を払って出荷し続けているバラが、我が家の事を理解してくれているお花屋さんの手元に届き、「綺麗だったよ」などとメールが届けば、小躍りしてしまう。

 

 そんな訳で、我が家の一番品質のいいバラは市場へ、そこそこを品評会へ。

 

もちろん、そこそこの評価しか得ない。

 

 そこそこであろうが、私自身は意に介さない。

 

 まぁ、「負け犬の遠吠え」と言ってしまえば、それまでであるが。



2010年6月8日(火)

「 騎虎の勢 


 常々、不思議に思っている事がある。

 

 「何故?」と5W1Hが頭の中で、めぐり巡る。

 

 「なまこ」「ごぼう」「ふぐの卵巣のぬか漬け」等々、一体いつ誰がどういった理由で食べ始めたのだろう?

 

 「なまこ」は明らかに食欲を低下させる外見であるし、「ごぼう」は見るからに根っこである。

 

 猛毒のふぐの卵巣を如何なる理由で、ぬか漬けにしたのかも、不思議でしようがない。

 

 世の中の「珍味」と呼ばれるものを最初に口にした人間はどういう心境だったのだろうか。

 

 この所、南信州では其処此処で「カッコウ」が鳴き、梅雨もまだなのに初夏の陽気が漂う。

 

 自宅の作業場で出荷の準備をしていると、温室から父が戻ってきて、我が家の土蔵の中へ入って探し物をしている。

 

 しばらくして、煮干を手にウロウロしているので、何事かと様子を伺っていると、どうやら温室にまた野ネズミが出たらしい。

 

 バラの新芽を食べられていると、ネズミ捕りを仕掛ける準備をしている。

 

 ニュース番組でも野生の鹿やタヌキ、狐、猿の食害が報道されており、しばしば問題となっている。

 

 父曰く、「今年はどんぐりが不作だからしょうがない。」という。

 

 どうやら不況なのは人間界だけでなく、自然界も同様のようだ。

 

 そういえば、最近良く、狐やらタヌキが道端にいて、車を恐れて逃げ回る姿を良く見る。

 

 夕方、花切りに温室に入ると早くも1匹捕まっている。

 

 しかし、まだいる様で、灰色のピンポン玉くらいの生物が、稀に残像だけ見せる。

 

 バラの新芽だけならばまだしも、潅水チューブをかじってしまうから、癖が悪い。

 

 父は「どんぐり集めてこねぇと・・」と漏らす。

 

 ネズミも珍味で腹いっぱいより、どんぐりを食べたいであろう。

 

 チューブを食うチャレンジ精神には頭が下がるが、どう見ても無謀である。

 

 きっと世の中の「珍味」生み出した先人も「飢え」にやまれず、それを食べたのであろう。

 

 酒のつまみに「珍味」を喜んで食べる私にとって、先人達の功績は偉大であるが、挑戦に失敗して病気になったり、死んだ先人を思うと、申し訳ないが笑ってしまう。

 


プリンセスオブウェールズ





アブラハムダービー&レディチャペル


カスタードパイ&エヴァーロング


2010年5月19日(水)

「 サヨナラだけが人生か 


 ティネケ

 
 ティネケ

ティネケ


 スペンド ライフタイム
スペンド ア ライフタイム


(左)ティネケ (右)スペンド ライフタイム

 「賽(さい)は投げられた」「箱を開ける」「火蓋を切る」等々、物事の始まりを表す言い回しは、多く存在する。

 

 新年度を迎え、新しいスタートを切った社会人、学生もたくさんいるだろう。

 

 私の周りでもどんどん年下が増えてきて、何やら自分の歳を感じざるを得ない。

 

 私は相も変わらずバラ作りをしていて、就農して5年の月日が流れた。

 

 闇雲に日々が過ぎて行ってしまっている様で、何やら焦燥(しょうそう)するが、それすら毎年の事なので、悪く慣れてしまっている。

 

 何か新しいことを始めたり、新境地に足を踏み入れるという事は、かなりのエネルギーを必要とする。

 

 スペースシャトルが、大気圏を越える時のように、爆発の様な熱量を秘めていないと、新世界には飛び出せないものだ。

 

 

 最近、しばしば質問やお小言を頂戴するのだが「スペンド ライフタイム」のフリルが少ないと言う事だ。

 

 私としても知らないわけではないが、以前にも記述したとおり、彼女は高温期にその独特のフォルムを見せる。

 

 故に、冬季やまだ肌寒い信州の春では、正直HPに掲載している画像とは大分異なる。

 

 「嘘・大袈裟・紛らわしい」と「ジャ○」に連絡されても事なので、注釈を付けさせて頂きたい。

 

 とは言え「ティネケと全く一緒」等と言われてしまっては、彼女の沽券(こけん)に関わるので、そこは大きく否定しておこう。

 

 蕾の状態であれば、「バラ通」の方でも区別はつかないであろうが、展開する事に彼女の本領が発揮される。

 

 開花中の「ティネケ」と比べて頂ければ、その差はご理解頂けるであろう。

 

 「スタートする」という事は、期待や不安を含んだ大波小波に打ち付けられ、船出には若干の勇気がいる。

 

 そうであっても、いざ大海に飛び出せば、沖の方が凪であることが多い。

 

 「始まり」だけでなく「過程」や「終局」に向かっての道のりも楽しんで欲しいものだ。

 

 「箱を開ける」事が終わりではない。

 

 まさにスタートなのだから。




2010年5月2日(日)

「 ソラニン 


 吉野桜は散ってしまったが、萌黄色に膨らむ山々の所々に、山桜が少し濃い目の桃色を注す。

 

 これからの信州はご馳走シーズンである。

 

 「おこぎ」や「せり」「こしのあぶら」など「たらの芽」など足元にも及ばない山菜が食卓を彩る。

 

 「おひたし」にして鰹節たっぷり、からっと天ぷら、酒が進まないわけがない。

 

 生命の息吹である新芽を食べる事によって、信州人は冬篭(ふゆごも)りを終え、年度の始まりに精を付けるのだ。

 

 ところが、嘘か真か花粉症の人には、山菜はあまり良くないらしい。

 

 山菜は「灰汁(あく)」が強い為だという。

 

 植物の新芽に多く含有される「灰汁」は、様々な成分で構成されているが、食害を防ぐ為のもので、植物の自己防衛本能である。

 

 

 先日、「世田谷花き研究会」の役員会に出席する為に東京に赴いた。

 

 何の因果か「副会長」になってしまった私は、出席を余儀なくし、不慣れな議事進行をしながら、4時間に及ぶ第一回の会議を終えた。

 

 3時間半もかけて東京に来たならばと、宿泊にしてその後、同じく副会長の千葉・青木園芸の青木君と「世田谷花き」の若いセリ人を誘って飲みに行った。

 

 若いと言っても、私と同じ「アラサー」世代であるが、普段ゆっくり話をする事がないので、膝を突き合わせてみた。

 

 飲み始めれば、とても表日明けとは思えないくらい元気に語り合い、気付けば3時近く。

 

 現状の不満や与えられている仕事の夢、様々な「花」に関しての話ばかりを熱っぽく語り合ってしまった。

 

 素面(しらふ)に戻ると少し恥ずかしいが、私も彼らに負けない様に、立派なバラ屋のおっさんになりたいと強く再認識させられた。

 

 成長点は、脆(もろ)く折れやすい、何者かに摘まれる可能性もあるが、「灰汁」を含みながらも成長したいものだ。

 

 ジャガイモの芽には、毒が含まれており、大量に摂取すると、頭痛、下痢、嘔吐を引き起こし、最悪昏睡後、死に到る。

 

 成長過程である私が「毒舌」なのも、そう言う訳かと納得できる。









グランス